2020年2月10日月曜日

【Daily Open Windows】2月10日

二月十日

キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。(第一ヨハネ二・二十七)

主の民、聖書を持っていて、文字としての聖書をよく知っているこの人たちは、彼らが本当の意味でキリストともに十字架につけられていたら、もし、彼らが主の死の中で自分も死んで、主とともに引き上げられ、そして、御霊を受け取っていたら、生活の中に主の光を持つことを、いつになったら、理解し、認めるようになるのでしょう?『キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるのです』(第一ヨハネ二・二十七)。いつになったら信者たちは、いつになったらキリスト者たちは、このことを理解し始めるのでしょうか?なぜ、文字としての聖書の知識を持っているはずのキリスト者たちが、あちらこちらと駆け回っては、自分の霊的な知識を大きく左右する問題で、他者の忠告を求めるのでしょう?私は、その問題で、人に相談することは間違っているとか、経験ゆたかな他の神の子供たちがどう考え、どう感じるかを知ろうとすることは間違っていると言うつもりはありません。しかし、もし、その人たちの結論に基づいて、自分の立場を決めようとするなら、私たちは大きな危険の中にいることになります。どのようなことでも、最終的な権威と決定権を持つのは神の御霊、油注ぎの御霊です。お互いから助けを得ることはかまいませんが、私があなたに望むのは、たとえば、私が何かを語ったからと言って、そのことに基づいて、自分の立場を決めようとはしないで欲しいということです。そのようなことは、しないでください。私は、そのようにして欲しくありません。あなたにそれをしてくださいとは求めません。私が言いたいことはこうです。まずは、よく聞いて、心にとめてください。それから、もし、あなたが神の子なら、あなたの中にいるはずの最終的な権威者のもとへ赴き、何かが真実であればその裏付けをし、真実でなければ、それをはっきり示していただくようお願いしてください。あなたの権利、生まれた時から持っている権利、全ての神の子供に与えられた生来の権利とは、内住の光の御霊、神の御霊の光の中にいることです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

0 件のコメント: