2020年2月4日火曜日

【Daily Open Windows】2月4日

二月四日

確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。(第一テモテ三・十六)

苦難のとき、試練のとき、逆境にあるとき、サタンの手がのしかかっているとき、何か意味があることとはとても思えなくても、実は、そこで神が御使いを教えているとか、天の支配と権威がそこから良いものを引き出しているなどと言われても、陳腐な慰めとしか思えないことが多いものです。そんなことばから多くの慰めを与えられることはありません。しかし、よく考えれば、そのような時、地上ではあまり大きな役割を果たしていないように思えても、そこで、私たちがしていることを通し、主の支配と権威に向けた大きな働きが成されていることに、気づくはずです。忙しく駆け回ったり、会合に出席したり、また、主のための働きをすることが、教会に属する者たちにできるただひとつの奉仕であると考えてはいけません。こうしたことが全部、行き詰まってしまい、地上での主のための働きもすべて止まって、私たちがまた、何もできない悲痛な日々にいるときも、主のための働きは同じように成し遂げられます。こんなふうに、何もできないでいるからといって、何の奉仕も行っていないとか、そのあいだ、主のためになることはすべて切り捨てられているなどと、決めつけてはいけません。み言葉を見てみましょう、『・・・今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって』――これは、未来ではなく、今のことです。このきわめて困難で苦しい経験を通して、主が導いてくださるからこそ、彼らは、主が教会で行っていることを学んでいるのです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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