2020年2月18日火曜日

【Daily Open Windows】2月18日

二月十八日

私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。(エペソ一・三)

霊性とは、ある種の不可思議で理解を超えた『何か』であると考える人――すなわち、霊的であることとは、現実とかけ離れた何か、特別な心の状態だと考えてしま人たちもいるようです。まず第一に、霊性とは、特定の心の状態のことではないのは確かです。ここで言っているのは、静かで天的な心のことです・・・・確かに、霊的であることから生じる実として、このような状態になることはあるかもしれません・・・・しかし、霊性とは、漠然とした秘密めいもの、また、抽象的なものではありません。霊性とは、何よりも実践的なものです。


男であれ、女であれ、神によって、主への奉仕の一端を担う働きへと召され、そして、その要求を突き付けられて、自分にはその奉仕をやり遂げるだけの能力も資質も力もないこと、彼らの中では、それがどうやっても不可能であること、彼らにとって、それを試みることさえとてつもない愚行であり、理不尽であることが、はっきりと分かったとします――そのような状況に置かれた彼らが、自分は生けるキリストを持っていて、その中には、要求に応えるのに十分以上の備えがあると気付き、・・・・そして、このことを心にとめながら、信仰によって、主をしっかりと掴んで、奉仕の中へと入っていくなら・・・・、それが霊性というものです。そして、この霊性とは実践的、どこまでも実践的です。このように考えると、霊性とは実践的なものであることが明らかになります。天的なものごとは、このようにして行われます。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

0 件のコメント: