2020年2月7日金曜日

【Daily Open Windows】2月7日

二月七日

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。(マタイ十一・三十)

愛する友人の皆さん、もしある事実が、あなたの心を自分だけに向けさせて、内省的にし、霊的に自分のことで精いっぱいにしてしまうなら、その事実は、間違えて理解されています。自分は人よりも霊的な位置にいると思い込んでいても、あなたの理解は全面的に間違えています。キリストが十字架で成されたこの大きな御業は、誰であれ、人を不幸にすることを目的とはしていません。これは、もちろん、言うには及ばないことです。それでも、主を信じた後も不幸なままの大勢の人たち、生きる上での罪の問題で惨めさを味合うたくさんの人たちがおり、そして、その数は、悲しいことですが、増え続けています。より完全な啓示、より深い真実(それをどう呼ぼうと――全てを完全な成長へと向かわせるところ)と、あらゆる個人的な内省のあいだには、明確な線を引いて、常にはっきりと分けておいてください。


より霊的になるためには、より熱心になり、また、生活のあらゆる面で、霊的な生き方を追求し、その問題に縛られていなければならないと考える人もいるようですが、この人たちは、実際には誰よりも鼻持ちならず、その心からよろこびは失われています。確実に言えることですが、どれだけ深く、どれだけ力強く、どれだけ大きくても、御霊の啓示によってもたらされるものが、あなたを惨めな状態にすることなど、絶対にありえません。聖霊によるイエス・キリストの啓示は――それ以外の啓示などありません――決して、人の魂を不幸にはしません。

もし、キリスト者が霊的な問題で、惨めな気持ちにさせられていたら、何かが間違っていることになります。すなわち、勝利が既に神のものであり、その勝利はキリストにおいて、完全、かつ、最終的に得られているので、私たちはその戦いに加わるように求められてはいないという、この壮大で絶対的な現実を理解できていないか、あるいは、その後に伝えられた真実を誤って捉えたために、それが、とても荷いきれないほど苦しい重荷となってしまっているのです。主イエス様は言いました、『わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い』(マタイ11:30)。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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