2020年2月15日土曜日

【Daily Open Windows】2月15日


二月十五日

あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。(ガラテヤ一・七)

このことを認めるのに、大して深い知性は必要ありません。すなわち、神の働きの歴史全体を通して、その働きをおとしめようとする者たちが放つ最初の一撃は、常に混乱でした。神は、混乱の神ではなく、秩序の神です。サタンこそ、混乱の神です。混沌から秩序を生み出すために、神は言われました、『光よ、あれ。』秩序から、混沌を引き出すためにサタンは言います、『混乱よ、あれ。』サタンが使う混乱とは、起こされる問題と、その問題にかかわる要素を混同させることです。これを行うために――この単語(confuse)に隠されているように――サタンは、本来は根本的に違っていて、お互いとは何のつながりもない要素を混ぜ合わせ(fuse)ます(あるいは、混ぜ合わせようと試みます)。このために、構造的な矛盾と不一致が生まれています。このサタンの得意な攻撃が浴びせかけられているときに限って、私たちは、ひどく陰険な者となり、自分ではどうすることもできません。サタンの得な攻撃として、混ぜ合わせることによって、騙すのです。


まさしく、このようなときこそ、神の子供の生活の中の聖霊のいる場所、意味、そして、支配が、大きな意義を持つ、重要なものとなります。主こそが、『真実の霊』です。主だけが、真実が終わって、嘘が始まるところをご存知です。本当に、『御霊にあって歩む』ときに限り、私たちは、この真実を知り、過ちをおかさずにいられるのです。御霊にある歩みをするためには、『割礼を受けた心』、すなわち、肉と霊、キリストと自分自身が切り離された心が求められます。これまでにあった異端信仰はどれも、善良な人たちがすっかり騙されるくらい巧妙な真実をその中に持っていました。これと同じように、完全に神から来るものに対して、邪悪なる者が取る策略とは、常にそこに、何かを思い込ませ、そそのかし、曲がった解釈をさせ、あるいは、何かを連想させることによって、それを疑わしく、あるいは、『危険』なものと見せることでした。その者は、主イエス様ご自身に対してすら、これを行いました。パウロに対しても、その生涯を通じて、同じ策略を用いました。・・・よいものであっても、混乱させられたり、本当の意味を取り去られることによって、自分自身の敵とされてしまうことがあるのです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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