2020年2月14日金曜日

【Daily Open Windows】2月14日

二月十四日

私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。(コロサイ一・二十四)

パウロは、この『キリストのからだのための苦しみ』、そして、『キリストの苦しみの欠けたところを満た』すことを、幾分なりとも知っていました。私たちも、これに立ち向かわなければなりません!神にとって大切なのは、主の苦しみを共有することです。


キリスト者として働くことに、憧れを抱く人もいますが、そこにあるのは外見的な麗しさでしかなく、キリスト教団体の活動に情熱と興味を抱いているに過ぎません。しかし、働きの中で、本当に大切なのは、私たちが他の人たちにとって何者であるかではなく、神と二人だけのときに、どのような者であるか、主の証しに心からの共感を抱いているかいうことです。あなたは、重荷を、情熱を持っていますか?地上で主の御名をとなえた人たちのあいだで、主の証しが弱められていることが、あなたにとって、心の痛みとなっていますか?自分が原因となって、主の苦しみが目に見えるかたちで引き起こされるまで、私たちは何も成すことはできません。本当にいつまでも変わらない永遠の価値を持つ働きができるかどうかは、私たちによってこの苦しみがどれだけ生じるかという、その計りにかかっています。今は苦しみのときです。救われていない人たちの苦しみであれ、主の民の苦しみであれ、あらゆる真に霊的な働きは、苦しみの中から生まれます。そして、いつでも、神にもっとも用いられてきた人々とは、この苦しみを魂の中に、神と二人だけの生活の中に持っていた男たちであり、女たちでした。あなたの中には、この苦しみがありますか?おそらく、ないと言うでしょう。それなら、自分も主の関心ごとに、入れていただくよう、お願いしてください。生きている今、このとき、主の重荷として取り込んでいただけるよう、自分の姿を神の前にさらけ出してください。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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