2020年2月8日土曜日

【Daily Open Windows】2月8日

二月八日

あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。(ヨハネ二十一・十八)

『燃える炎のような目』は、現実を探しています。それは、多くのものを見抜く目です。まず第一に、その目は、伝統的で形式的な宗教、すなわち、『キリスト教』を刺し通します。この目はこう問い質します、あなたにとっての宗教は、何らかの制度、歴史的な伝承、家族の伝統といったものに組み込まれたり、貼りついているのものですか?それとも、新しく生まれたものでしょうか――すなわち、あなたの中で誕生したものですか?あなたの身に引き起こされた何かですか?それはあなたの人生そのもの、あなたの存在そのものですか?二番目に――しばらくのあいだ、こちらの方にはなしを集中します――この目は、人の気性と性質を刺し通します。あなたが今、その場所にいる理由、あなたが今、その問題を心にかけているその理由、あなたが今、この相手とつながっている理由、そして、あなたが今、このような考え方をしているその理由について、そのようになっているのは、あなたの個人的な性向のゆえなのか、この目は、それを知りたいと求めています。例えば、あなたは、芸術嗜好で神秘的なものを好む気質を持っているため、自分の心象から、信じる宗教を選んだり、作り上げている人です。または、あなたにはいつも沈んだ気持ちでいる性向があり、そのため、より抽象的なもの、より深遠で、厳粛で、情熱的で、内省的で、そして、思弁的なものほど、あなたの心に訴え、あなたの思いも自然に応えるかもしれません。あなたは神、キリスト教、キリストや聖書を自分の心象から作り上げています。


あるいは、あなたが、現実的な気質を持つ人であったらどうでしょう。あなたにとって、あらゆるものは、『実践的』な意味での価値しか持ちません。あなたは、じっくりものを考える性格の人にはとても我慢できません。あなたは、『いろいろともてなし』のことで心配するあまり、『マリアのこと』でいらいらしています。あなたにとって、目標そのものが大切で、その目標にどのように達するかということは、それに比べるとどうでもよいことです。あなたは、頭の中に浮かんでくることに煩わされることはなく、実現されることにだけ価値をおきます――すなわち、一日で自分がどれだけの結果を残したかということです。あなたにとっての神とキリスト教は完全に、または、ほとんど完全に、現実的な性質のもので、それはあなた自身の思いに即した現実です。さて、こんなふうに、いろいろな人の性格を並べていくこともできます。しかし、そんなことをしても意味はありません。キリストは、そのうちのどれでもないからです。主はまったく、違っています。主が、あらゆるものの中にある良いものを取って結び合わせても、それが、そのまま神と同じ性質となるということではありません。主は、そのようなものでとは違います。上で考えたのは全部、人間の魂ですが、キリストと真のキリスト信仰の本質的な性質とは、神の霊から来る性質です――それは天にあるものです!新生に何かの意味があるとすれば、それは、新しい性質と気性が信者の中に生まれ、それによって、その人が、『自分では(生まれたままなら)、行くはずのなかったところへ連れて行かれる』ようになるということです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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