2020年2月16日日曜日

【Daily Open Windows】2月16日

二月十六日

わたしが来たのは、羊がいのちを得るためです。(ヨハネ十・十)

もし、一方で、永遠のいのちが、私たちを生まれたままのいのちから切り離して、それを神との関係の始まりとしてくれたら、別の面から見れば、そこで行われたことは、何よりもすばらしいことです。まさしく、『主のなさったこと、私たちの目には不思議なこと』です。主は、私たちの肉的な生活に入って、私たちが全力を尽くしてできるよりもずっと多くのこと、明らかに今の自分の能力をはるかに越える何かをさせることすらあります。これは、最善の状態にあってもなお、人間としての私たちは、何の価値もない者であることを、主が私たちに教えたからです。主から来るいのちが、このようにします。主のいのちは、ひとつの制度を捨て去って、別の制度を導きいれ、それが用いられる場所を備えます。


これこそ、主が、次のみ言葉の中で言おうとしていたことだと、私は思っています、『わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです』(ヨハネ十・十)。これはただ、私たちの暮らしが豊かさにあふれたものになることを意味していると、私たちは考えてきました。私たちはいつも、生活がもっと豊かになってゆき、心もすばらしく高揚して、喜びにあふれ、活力に満ちた気持ちになれることを望んでいます。主とは、この上もなく現実的なお方であり、より豊かな生活とは、主のいのちを持っているあなたも、もっと先へと導いてくれる何かが必要であると気づくこと、そして、先へ進むほど、より多くを求めるようになることを意味しています。主にあるいのちだけが、この豊かさへと、あなたがたを導いてくれるからです。そして、主の願いとは、主のいのちが、すべての目的が満たされるまで、完全に備えられていることです。主の目的とは、これほどまでに豊かな目的だからです。主のいのちは、この目的を成し遂げるのにふさわしいものです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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