2020年2月25日火曜日

【Daily Open Windows】2月25日

二月二十五日

わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。(ヘブル十二・二十六)

地と天において、すべてが揺り動かされようとしており、その目的は、キリストを信じるものがそこにどれだけ生きているかを確かめることです。ユダヤ教徒たちの目の前では、宮、そして、宮という制度の全体が崩れ去ろうとしていたのであり、その後で、彼らは、自分がどれだけのものをキリストから受けていたのか、あるいは、彼らの生活のどれほど多くが、地上のものに縛られていたかに気づくことになります。すべてが消え去ったとき、そこに残されているものが何かが分かります。神はユダヤ教だけではなく、この天的なものをも、揺り動かそうとしています。神は、天と地を揺り動かそうとされており、そして、この揺り動かしによって、自分たちが置き去ったものが何か、私たちが気付くことになるのは、地上の制度が消えていくとき、キリスト教における天的なものの表現さえもが試されるときになります(ユダヤ教がそうしてきたように、キリスト教も天的なものの表現方法を発展させてきたからです)。人間たちは、新約聖書に啓示された教会、聖職、そして、司祭職のこの世的な表現を作り出しました。この全てが試されることになります。このことが今、多くの者たちに対して、完全に正されようとしています。問題は天と地が揺り動かされることです。私たちに残されるものは何でしょうか?問われているのはキリストです。私たちが述べてきたことを、あなたが好むか、あるいは、それに賛同できるか、否かは、私にはどうでもよいことです。しかし、私にとって大切なのは、私たちはキリストのもとに来たのであり、それは、天におられるキリストが私たちのいのちであり、天におられるキリストが私たちの全てであり、これは、神によってそのように定められたのであって、そして、地上にある何ものもキリストの代わりにはなり得ない示すためであることです。神は本来、キリストがいるべき場所を占めているすべてのものに終わりを来たらせます。神が永遠の昔から定めておられるように、すべてのものにおいて、キリストがすべてを超えた存在でなければならず、すべてのものにキリストが満ちていなければならず、そして、なにものも、主の前に誉れを受けることも、主の代わりとなることもあり得ません。主は、私たちをキリストのより大きな計りへと導かれ、キリストのより大きな計りを私たちの中にもたらしてくれます。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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