2020年2月17日月曜日

【Daily Open Windows】2月17日

二月十七日

私たちが神の家なのです。(ヘブル三・六)

民のための第一の願いと、初めの計画の回復のために、主が行わなければならない、また、行いたいと望んでおられる全ての中で、大きな場所を占めているのが、霊的な家族の回復です。ご自身の初めの願いにつながる新しい何ごとかを神が始めるとき、そこでは必ず、霊的な家族と、この家族から生まれるすべてがあらたに動き出します。それによって、多くのものが弱められてしまったり、また、間違えて考えていた多くのことを切り捨てるようになることもあります。伝統的な制度の全体を捨て去らなければならないことすらあります。


霊的な家族の生活と、その家族で受ける訓練から、非常に大きな価値が生まれます。家族の中で受ける訓練に勝る訓練はありません。社会的な集団では、これに代わるのに適切な訓練はありません。実際に、主から責任を負わされ、主に用いられる男たち、女たちは、どこかの団体で訓練されたのではなく、家庭で訓練されています。主の働きのために外に出て行きながら、人との関係につまずいて、心を折られてしまうことが非常に多いのは、家族を土台とした訓練を受けてこなかったためです。神の働きで起こる悲劇の非常に多くは、組織というかたちでひとつにまとめられた働き手のあいだの関係が壊れてしまうところから生じており、このような人たちは、家族の生活の中で鍛錬を受けてこなかったため、扱い難い人々と勝利に満ちた生活を送るすべを知らないのです。霊的な家族で受ける訓練には、限りなく大きな価値があり、そこには、非常に密接な関係が求められます。

キリスト教徒たち(教会に通う人たち)から、仲間のキリスト教徒や教会の会員たちと、あまり親密すぎる関わりを持つのはいやだという声は、いつも聞かれます。お互いをよく知らないでいる方がよいというのです。これは敗北であり、主にとって非常に大きな損失を意味しています。主が取られる道とは、ご自身の民をひとつにして、何よりも緊密な関係へと導かれることであり、どれだけ扱いにくい者たちでも排除することはされません。主には、他にはない家族があり、あらゆる種類の人たちから作られていて、中には非常におかしな人たちもいますが、そのすべてがひとつになって、すばらしい訓練の基本を備えてくれます。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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