2020年2月13日木曜日

【Daily Open Windows】2月13日

二月十三日

この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。(第一コリント三・十三)

主の名前をうやうやしく掲げて、建てられているもの、また、いかにも『教会』らしく、壮麗でりっぱに見えるものは数多くありますが、この一組になったこの現実は、建てる人の中にはないし、建物の中にもありません。このどちらも、神の嵐と炎が人の全ての働きを裁くときには、崩れ去る運命にあります。良い働き、たとえば、慈善活動、もてなし、改革、教育、宗教、救済などは、『キリスト教文明』と呼ばれるものの産物、または、副産物であり、それには深く感謝すべきなのかもしれませんが、こういったものを、『新しい創造』、新生、『上から生まれる』ことと混同しないようにしましょう。教会とは、人間が、自分の中にある材料を用いて一人で、また、共同で建てられるようなものではありません。


教会は、有機体(organism)であって、組織(organization)ではありません。『聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはキリストの肉とキリストの骨の部分です。』できるものなら、教会を建ててみなさい!教会を立ち上げ、組み立てて、『運営』してみてください!絶対に思うようにはいきません。教会とは、霊的な力が、自然に働くことによって生まれるものであり、その力は、キリストについての壮大な事実を信仰によって受け入れる中で解き放たれるのです。この事実は、聖霊の力の中で経験することから伝えられるものです。神学上のキリストではなく、教義としてのキリストではなく、文字に書かれたキリストではなく、ましてや、歴史上の人物としてのイエスなどでもなく、その死、埋葬、よみがえり、そして、神の御座への昇天が意味するものをすべて包み込んだ上で、聖霊によって、心の中に明らかに示された永遠のキリストです。神の家に関わることで、何かを述べ伝え、仕え、その立場を占め、『建てる』の権威は、他にはありません。他のものに時間や力を使うのは、愚かなことです。この土台の上に立って、汗を流すことこそ知恵です。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

1 件のコメント:

翻訳虫 さんのコメント...

【訳注】始めの文章に、『ふたつで一組になったこの現実』ということばが出てきますが、これは、引用元の『The Servant of the Lord』という本の前段からつながっています。この『the twofold reality』について書かれた段落を載せておきます。かなり、ユルい訳なので、詳しく知りたい方は、この部分の英文をお読みください。

『私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。』ここでは、『賢い建築家』の基本的な知恵を二つの側面から見ています。ひとつは、イエス――神の御子、神そのもの――の真実です。この方がいなければ宇宙全体が崩れ去り、消えてしまう人の子であり、この方なしは、宇宙全体に対する神の目的を実現するためにどうしても必要な道具――すなわち、教会、神の家――を作り出すことができないお方。それは、この主、この主お一人がすべての基盤であるからです。それから、もうひとつの面として、この真実とその性質は、経験としての啓示、そして、啓示としての経験の上に述べ伝えられたということがあります。この『イエスの証し』を切り開いたのは、権威でも、専門家でも、主導者でもなく、『証し人』でした。この二つのことは、実はひとつであり、事実と聖霊の啓示によって知らされる事実です。この基礎と装備なしには、誰も建てる者になれないし、神の建物も作られません。

"Neither did I receive it from man, nor was I taught it but it came to me through revelation of Jesus Christ." Here then are the two sides to the basic wisdom of the "wise master-builder." The fact of Jesus - Son of God, and very God; Son of Man, without Whom the universe as a whole and the race in particular must collapse and cease to be, and without Whom that elect instrument without which the universal purpose of God can never be realised - the Church, the House of God - can never be built; for He and He alone is the Foundation. Then on the other side this fact and its nature proclaimed on the ground of a revelation which is an experience, and experience which is a revelation. They who pioneered this "Testimony of Jesus" were neither authorities, experts, or exponents; they were "witnesses." The two things are one, the fact and the fact known by revelation of the Holy Ghost. No one can be a builder and no Divine building can be built without this basis and equipment.