2020年2月2日日曜日

【Daily Open Windows】2月2日

二月二日

(主は)より頼んでいるあなたがたには尊いものです。(第一ペテロ二・七)

もし、あなたや私が、自分は他の人より多くの光が当てられ、より多くの啓示を受けていると主張したらどうでしょう――もちろん、そのような主張は決してするはずもありません!――しかし、私たちが、そのことは明白で、それだけの価値があると考えていたら――人から見て、私たちの中には他の者よりキリストがいると思えるでしょうか?神は、自分が御子よりも前に出ることをしないし、神ご自身が理論や、教えや、教理や啓示と呼ばれるものへと動くことは、決してありません。神ご自身は、生ける御子の中に表される範囲にとどまっています。・・・


私たちの中に、他の何にもまして主イエス様を表したいという情熱的な望みを作り出してくださるよう、主にお願いしましょう。立派な真実を述べ伝えるためでも、説教者や教師といったものになるためでもなく、主イエス様を表すためです。主ご自身、主自身の臨在、主自身の計り、主自身の性質の中から、もし、それが私たちに定められていることなら、述べ伝える機会は必ず訪れます。それは、語る力があるからではなく、私たちが主から何かを受けていることが知られているからです。神の家の中で、あまり上の方の階にばかり住まないようにしましょう。神の家はひとつだけで、そこには地下室があり、台所もあります。私たちは、いつも最上階の良い部屋に住み続けたいとは望みません。そこは、あまりに天的で、あまりに霊的で、あまりに抽象的で、あまりに高い真実の中にあるので、台所で行われるべき現実的なことがらは、放り出されたままになっています。

どこかの家に入って行って、そのまま上の方へ連れて行かれ、何かきらびやかで、ぜいたくに飾り立てられた眺めの良い階に案内され、次に、何とか台所まで下りてみると、そこは、どこよりも汚らしく散らかっていて、上で見たものとは、とても同じ家と思えないほどひどいありさまだったとしたら、あなたは何と言うでしょうか?こう言うのではないでしょうか、『この家はどこかおかしい、上と下が釣り合っていない。』霊的ないのちには、この台所と同じ面があります。つまり、何もかもが現実的で、毎日、同じように続く単調なものばかりですが、そこでも、上の階と同じくらい、キリストの天なるさまの中に、主の麗しさが観られるはずです。上の階だけに、限定して住むことはやめましょう。この下の階にも住まなければなりません。これが、神のみ言葉がすることです。これが、パウロがエペソ人への手紙の中で行ったことです。パウロは、この手紙の前半を天的であることについて書いた後、別の章に分けることをせずに、手紙をそのまま続けました、『私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。』それから――夫たち、妻たち、子供たち、親たち、主人たち、女奴隷たち、しもべたちよ――これは、台所まで降りて来ること、天の栄光とともに生きていくことです。これは、ものごとの非常に大切な面です。尊さは、下にあるこの場所で見つかるはずです。『天で行なわれるように地でも行なわれますように。』

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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