2020年2月27日木曜日

【Daily Open Windows】2月27日

二月二十七日

主はこう言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を・・・運ぶ、わたしの選びの器です。」(使徒九・十五)

主は器、ダニエルの器を必要としておられ、その器とは、個人であれ、集団であれ、神ご自身の証しのために、神に向かって自ら進み出る器です。神に必要なのは、証しが途切れた民のために心を痛めるネヘミヤです。神になくてはならないのは、神の心と相容れないものとは、一瞬たりとも妥協しないエズラです。神に必要なのは、怖れをものともせずに進み、いのちの危険にひるむこともなく、民の生命を守るため、神の民を敵の脅威から解放するために、王権にすら立ち向かうエステルの器です。ああ!これらの祈りが、どれだけのものを成しとげたでしょう!そして、愛する皆さん、終わりの時の主の働きに用いられる器になろうとするならば、主が抱える重荷が、私たちの心にも等しくのしかからなければなりません。神の助けとなるために、私たちは、非常に深いところまで、用いられなければなりません。主ご自身と主の利益の助けとなるものであれば、なにごとも、ためらってはいけません。主に機会を与えたら、どれだけのことを成し遂げてくださるか、あなたも大いに驚かれるでしょう。


全ては、何が必要なのかを認め、また、そこから生じる重荷を、心に受け入れることから始まります。聖霊に突き動かされて、この働きの中に本当に入ったとき、あの旧約聖書の器たちに共通して見られる性質が、私たちの中にも織り込まれていることが分かるでしょう。そして、気がつけば、私たちは、ただひとつのことに身を捧げるために、世から切り捨てられたものとなっているはずです ――すなわち、ご自身の民への証しに対して、主が抱えている重荷と心の痛みです――。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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