2020年2月1日土曜日

【Daily Open Windows】2月1日

二月一日

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。(ヨハネ三・十六)

この、『ほどに』という小さなことばには、とても大きな重みがあります――『神は・・・ほどに、世を愛された。』ヨハネ伝の三章十六節が福音書の中心であるとよく言われますが、実は、もっと大きなものであり、それは全宇宙の中心でもあります。創造されたこの宇宙のすべてのものの後ろに、ただひとつの心があります。考えとか、意志、設計図、理由、力、布告などではなく、心です。すべてがある設計に基づいて創造されたこと、この宇宙の背後には何かの考えが働いていること、そして、ある意思が宇宙を存在に至らしめたことを証明しようとする試みが行われていることを、私たちはよく知っています。この試みがあること自体は、とても正しく、良いものですが、その創造の背後にひとつの心があること――ほかの何ものよりも大きな心があること――を、じっくり考えてみるように求められることは、そう多くありません。創造の動機、意志、設計は心から出てくるものです。すべてはまず、神の心の中に生まれます。


神の考え、神からの助言について、私たちはたくさんのことを述べてきました。真実の中心に近づくほど、私たちはこの事実に深く影響されるようになります。それは、その中心には、ひとつの心が存在しているということです。それは私たちが、いつか必ず、たどり着くことになる心です。動機を満足させてくれる説明ではなく、誇示される力でもなく、ただひとつの心――力強い心であり、このことばを正しく使うなら、その心とは、そのまま、愛を意味します。私たちは、誰かのことを心がないなどと言うことがあります。それは、その人たちは、愛から来るものを何ひとつも持っていないということです。その人たちの考え、行動、動機は、愛に支配されておらず、彼らは、愛とは縁のない人たちなのです。これに対して、私たちにとって、心とは愛を意味するものであり、すべてのものの背後に、また、すべてのものの中心に、この心があると述べるとき、そこに愛があると、私たちは言おうとしています。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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