2020年4月12日日曜日

【Daily Open Windows】4月12日

四月十二日

(神が)御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき、私はすぐに、人には相談せず・・・(ガラテヤ一・十五)

もしパウロが、使徒たちのところへ相談しに行っていたら、彼らはなんと言ったか、私にはわかりません。しかし、パウロに与えられていた啓示が、使徒たちには与えられていなかったこと、また、パウロが受けていた召しが、使徒たちにはなかったこと(彼らの召しは、異邦人に御子を宣べ伝えることではなかったこと)を考えると、彼らは、ただ、つつしみ深く、また、用心深くあるように助言していたのではないでしょうか。彼らは、だまされたり、うそを教えられていないか、よく考えるようにと、パウロを諭したかもしれません。このようなことは、それまで、起こったことがなかったからです。・・・


さて、交わりとはいつでも良きものであり、また、どんな時も、できる限りの経験を用いるべきではありますが、主が私たちの心に語りかけて、私たちのために用意された道とは何かを全て明らかにすることに関して言えば、どうのようなかたちでも、私たちの反応を限定したり、私たちの従順さに干渉するものを影響を受けないように、よく注意しなければなりません。天からの啓示を貶めるあらゆる支配から、分離していなければなりません。本当に聖霊に支配されている人がいれば、その人たちが助けてくれますが、肉によって行われる助言は、天からの教えの臨在の中でなされるものではないことに、注意する必要があります。私たちは、伝統の中に助言を求め、誰からも受け入れられている答えは何かを知ろうとすることがあります。広く受け入れられている答えを求めると、あなたはそこで束縛されてしまいます。主は、どのようなことでも一人だけ独立して働くことに反対されますし、主の命令とは、御体の中で交わりを持つことです。それでもやはり、主が私たちに語ってきたことで、何であれ周りからの影響を受けるに任せ、また、人やものごとというかたちの支配的な要因から、助言を受けたり、指示を仰いだりすると、私たちは、それに捕らえられてしまい、おそらく、天から示される教えにも従うことができなくなります。このようにして失われてしまったいのちがあったことも、私たちは知っています。主から来ることの中で交わりがあるなら、それはぜひ、活用しましょう。しかし、ものごとを、交わりの外に持ち出して、主の光の中になく、主のいのちの中になく、そして、天から与えられる恵みの中にもないものからの影響のもとにさらさないように、また、完全に聖霊の支配の下にあるものより劣るものからの指示を受け入れないように気をつけましょう。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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