2020年4月8日水曜日

【Daily Open Windows】4月8日


四月八日

わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。(第二コリント三・十八口語訳)

ここにある『映すように見る(behold』とは、強い言葉です。これはただ、眺めているのではなく、『目を離さないでいる』ということです。これが新約聖書の中で言う、映すように見るということ、見なさいということの意味です。私たちは皆、キリストから目を離さず、主が、人としての御自身の姿の中に、神の栄光、神の満足、神の心の全てを、鏡のように映し出すさまを見ています。大切な点として、あなたも私も、主イエス様のことを霊の中でじっくり考え、そして、心は主のことで占められていなければなりません。私たちは、主とともに憩う場所として、自分の至聖所を持たなければなりません。私たちには、主と一緒の時間を過ごすための隠れた場所がなくてはなりません。そして、ある特別の季節だけではなく、どこへ動くときも、私たちの前には常に、主がおられるよう求めなくてなりません。主イエス様を見て、主のことを深く思えば、私たちも同じ姿に変えられてゆきます。聖霊は、私たちの心が主のことで占められるよう手を貸してくれます。


あなたは、自分の心に憑りついて離れないもの、心を占めるものに似た姿になってゆきます。そうではないでしょうか?人が何かに心を奪われているところを見れば、その人格が、心に憑りついているものによって変えられていることが分かります。彼らは、心に憑りついているものに似た姿になってゆきます。この人たちは、変わりつつあり、今とは違うものになってゆきます。何事かが彼らの心を掴み取りました。彼らは他のことを何も考えることができず、何も語ることができず、そのことが彼らの人格を変化させています。さて、パウロはこう言っています、『私にとって生きることはキリスト――私の心は主のことで占められています。』あまり適切な言葉ではないのですが、もし、主が私たちにとっての『強迫観念』となり、心を絶えず捕らえて離れないものとなったら、それはよいことです。私たちが、いつも変わることなく、主から目を離さずにいるなら、御霊は私たちを主と同じ姿へと変えてくれます。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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