2020年4月22日水曜日

【Daily Open Windows】4月22日

四月二十二日

だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。(マタイ十一・六)

神のみことばは、私たちが主のゆえにつまずく可能性があることをはっきり認めています。みことばのどこにも、その可能性が生じるべきではないとも、決して生じないとも書かれてはいません。私たちが、主につまずく状況に陥ることはないなどと、主は一度として言っていません。こうして主につまずいたり、主の上に倒れたり、主のせいで身を落としたり――望むなら、主のために砕かれる機会は、「いくらでも」あることを、主は、「既に」はっきりと示されました。このようなことが起こる状況、あるいは、機会は、これからも数多くあるでしょう。そうならないと、主が一度も言っていません。このことは、私たちも理解しておいた方がよいでしょう。


主は、牢獄に入れられた哀れなバプテスマのヨハネが、その苦しい状況のゆえに、危うく主につまずきかけた時も、彼を戒めることばを送ることはしませんでした。主が厳しかったのは、ヨハネの質問のためではありません。もし、主がこのようなお方でなかったら、こう言っていたかもしれません、『しかし、ヨハネよ、あなたは主であるわたしが神の小羊であると指摘したではないか?あなたは主であるわたしを、ただ一人の救い主として伝えていなかったか?あなたは、わたしのことを群衆に向かって説いたのではなかったのか?わたしについて信じていることを、誰よりも強く宣言し、確信させてきたのでは、あなたではなかったのか?そのあなたが、こうして、わたしのことで基礎的な質問をしている。ヨハネよ、あなたはいったい、どうなってしまったのだ?』いや、このようなことは言われていません。主は、私たちがどのようなものか、私たちがちりに過ぎないことをご存知です。そして、言っておきますが、私たちが主につまずく可能性が、私たちの弱さの中に常に存在することを、この主は、心にかけています。しかし、私たちが歩く道に主が置かれるつまずきの石に、私たちがぶつかることがなければ、主はそこに、特別な祝福を付け加えることはしません、『そして、わたしにつまずかない人は幸いである。』

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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