2020年4月23日木曜日

【Daily Open Windows】4月23日

四月二十三日

確かに、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力のゆえに生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対する神の力のゆえに、キリストとともに生きているのです。(第二コリント十三・四)

神の働きの世界に何よりも大きな傷を与えるもののひとつ、いずれは必ず恥と混乱と大きな悲しみへと導くものとは、生まれたままの魂の力であり、この力に頼って生きようと勧めているのは、強い意志と堅い決心を持った積極的なキリスト教徒たちなのですが、彼らはまだ、断固とした不屈の意思、個人的な決意、決断と、これとは根本的に違う別の力、すなわち、忍耐、粘り強さとなる霊的な恵みや、神による内的な強めを、はっきり区別できるだけの、霊的な状態に達していません。後者が働く場所を作るために、主が、前者を打ち砕かなければならないことがよくあります。全てをやり遂げるパウロの意志の力を褒めたたえてはいけません。パウロには、働きを続けさせてくれる主の恵みのすばらしさについて語ってもらいましょう。


男も女も、主の十字架が『私』の終焉を意味しているという真実を本当に認めているものが、自分自身を主に委て、その事実を実践するようになると、必ず剣のような炎が切り込んできて、はじめのアダムの居場所はもうない世界にこの『肉』が入り込もうと試みるところに突き刺さります。人間的な意思の力の特徴とは、厳しさ、冷たさ、死、干渉されることに対する苛立ち、競争相手への疑い、じゃまになるものへの不寛容、孤立、自立、隠し立て、熱と言ったものです。これに対して、霊的な強さから現れるしるしとはいつも、愛、暖かさ、いのち、交わり、開かれた心、自信、そして、主への信頼です。・・・・黙示録を見ると、サタンの全ての力である竜が、最後には、主である小羊によって投げ落とされます。主である小羊とは、弱さ、恭順の同義語です。パウロは、キリストについて、『弱さのゆえに十字架につけられた』と語ったあとで、こう付け加えます、『私たちもキリストにあって弱い者です。』その通り、しかし、彼は、こうも言っています、『十字架によって、主は勝利を得た』と。弱さを通して勝利したのです!

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

0 件のコメント: