2020年4月5日日曜日

【Daily Open Windows】4月5日

四月五日

『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。(ゼカリヤ四・六)

神殿の幕が裂けたとき、そこでイスラエルがうち棄てられたことは、大きな意味があり、目を引く事実として、あなたの心を打たないでしょうか?イスラエルは、自分たちが特別な民であるという証しを守るように召された人たちでした。キリストが来られ、あらゆる国の民への働きを完成され、そして、全ての民の中心であった垂れ幕、すなわち、神を人から隔てていたすべてのものに、今、手が下されて、そこに道が開かれました。これで、もはや民を区別する必要はなくなりました。こうして、特定の民の管理人は、民の区分とともに消えることになります。ここにあるのは、特定の民についての摂理ではありません。現実の摂理であり、よみがえられた主との天なる一致、そして、それが意味するすべてのものについての摂理です。


私たちは、民の区分を元に戻す危険を持っています。民の区分は消えたのであり、それがこのヘブル人への手紙が伝える大きなメッセージです。キリストがすべてなのです。旧約聖書にあった外的な秩序が取り除かれ、その後に、新しく生まれるのはキリストご自身のみです。主こそが本物の祭司であり、地上には、旧約聖書が意味する祭司はもういません。主こそがいけにえであり、それ以外のいけにえを捧げる必要はありません。主が幕屋であり、主が宮であり、主が教会なのです。教会とは何でしょう?それは、主を信じる民との生きた一致の中にいるキリストであり、このことから、ふたりでも三人でも、主の名において集まる所には、主もその中にいると言えるのです。これが主の教会というものです。何か特定の建物を建てて、それを『教会』と呼ぶことはやめてください。特別の組織、宗教団体を作って、それを、『教会』と呼べるものではありません。よみがえられた主との生きた一致の中にいる信者たちが、教会を作り上げるのです。これが現実であり、描かれた型ではありません。すなわち、主の肉体、人間的な限界が取り除かれたのです。今や、よみがえられたキリストとの一致の中にあって、あらゆる人間としての限界は超越されました。

これは、生きた現実としてよみがえられたキリストの大きな驚きのひとつです。私たちは、人間の本来の力をはるかに超える能力の世界に引き入れられたのであり、そこでは、内に住まうキリストのゆえに、生まれたままの私たちには絶対にできなかったことができるようになります。私たちの関係とは、新しい関係であり、それは天との関係です。私たちに備えられた資質は、新しい資質であり、それは天にあります。だからこそ、この使徒は、コリント人たちに宛てた手紙の中で、神は弱いもの、愚かなものを選ばれたと言ったのです。見下されている者、無に等しいものを選ばれたのは、それによって、神が、賢いもの、強い者、有るものをない者のようにするためです。神はなぜ、そのように定めたのでしょう?なぜなら、権力によらず、能力によらず、主の霊によるからです。そして、それによって、この世界で最大の力と能力をも超える力、活力、能力が主の民のために備えられていることを示すためです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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翻訳虫 さんのコメント...

第一コリント
1:28 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。
すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。

1:28 And base things of the world, and things which are despised, hath God chosen, and things which are not, to bring to naught things that are: