2020年4月1日水曜日

【Daily Open Windows】4月1日

四月一日

神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。(第二コリント四・六)

ガラテヤ人への手紙の内容を要約すると、次のようになります。すなわち、キリスト者とは、実行する指示されたこのこと、あのことや、別の何かを行う人のことではありません。キリスト者とは、禁じられているこのこと、あのことや、別の何かを避ける人のことではありません。キリスト者とは、外から示された生き方、秩序、また、『こうしなさい』とか、『こうしてはいけません』と命じる律法制度に支配される人のことで、決してありません。キリスト者であることとは、この一文から理解できます、『神は、御子を私のうちに啓示することをよしとされた』(ガラテヤ一・十五-十六)。これは、次のことを言い換えているにすぎません、『神は私の目を開き、イエス様を見せてくださった。』この二つは同じことだからです。ダマスコへと続く道がその場所です。『主よ。あなたはどなたですか?』『わたしは、ナザレのイエスである。』『御子を私のうちに啓示することを、神はよしとされた。』これは、全て同じひとつのことです。


心の内側から見ること、これが人をキリスト者にします。『神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださった』(第二コリント四・六)。『私たちの心に。』こうして心の内側に組み込まれ、啓示されたキリストこそ、人をキリスト者にするものです。そして、キリスト者が、何かをしたり、何かをしなかったりするのは、キリストの律法に命令されてそうするのではないし、ましてや、ユダヤ教の戒律に従うのでもなく、心の内側で御霊に導かれるままに、心の中にいるキリストによってそうするのです。これこそ人をキリスト者とするものであり、ここに、基礎が敷かれて、他の全ての部分を支えるものとなり、ここからキリスト者としての完遂へと向かってゆきます。この導きが、そこから、ますます強まっていくからです。ですから、この基礎は、上に置かれる建物に見合ったものでなければなりません。全体がひとつにつながっているからです。大切なのは見ること、キリストを見るということです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

0 件のコメント: