2020年4月29日水曜日

【Daily Open Windows】4月29日

四月二十九日

唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。(第一コリント八・六)

救いとは、ただ、魂を助け出すだけではなく、その魂を、キリストの完全さへと向かう道に乗せることでもあります。本当にみ言葉と御霊の中にある務めの全ては、この目的に支配されています。そして、ただ救われて、そこに留まるだけでは、み言葉の目的を果たすことはできず、聖霊の活力を十分に得ることもありません。『主の働き』と呼ばれるものの中で、この世界のどこかに出かけていくなら、私たちは次の目的に支配されていなければなりません。すなわち、その場所では、キリストの完全さに届かないものは存在しないようになり、また、可能な限り、キリストがすべてであって、全ての中にキリストがいるようになることです。これが最終的で、完全で究極的な目的です。キリストから切り離されることも、キリストと分かち合うこともあり得ません。全てであるキリスト、全ての中にいるキリストでなければなりません。これが聖霊の狙いであり、目的であることに気づくとき、私たちの人生と務めの進む道もはっきりと定まります。それは、全てに当てはまるものです。


あなたが主のものとなっているなら、あなたの人生は、主のみ言葉と聖霊に支配されているはずです。そうなっていなければ、あなたの主との関係は、どこかが間違っています。あなたの働きが何であれ――それは、家の中での親としての役目、家事における役割り、あるいは、仕事にあるかもしれません――その働きの中で、主との関係が守られていれば、あなた個人のことに関する限り、あなたの生活自体がキリストを表わすものとなるはずであり、これこそが主の務めと言えます。このような務めを、生活の隅々にまで入り込ませれば、すべてが違うものとなってくるはずです。それは、ひとつひとつの動機の正しさを問いかけるはずであり、全ての考え方に影響するはずであり、そして、全ての諍い、全ての対立、また、混乱やいら立ちを引き起こして、私たちを戦いの渦へと陥れる原因の全てを解決するはずです。このことを試すのは、ただこの一点においてです――すなわち、すべてであるキリスト、そして、すべての中におられるキリストです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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