2020年4月27日月曜日

【Daily Open Windows】4月27日

四月二十七日

わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた。(イザヤ四十八・十)

悩みの炉は、信仰によって、キリストの中にいる者たちのためにあります。悩みの炉の中では、何が起こるのでしょう?火の中で変えられるものとはいったいなんでしょう?火の中で練られるのはあなたや、私でしょうか?あなたは火の中で練られるのでしょうか?私は悩みの炉の中で練られるのでしょうか?違う、絶対にそうではないと、私は言いたい!!もし、『そのとうりだ!』と言うのなら、悩みの炉、るつぼの中の金属を溶かす炎を見てみましょう。あなたはその金属をどうするのですか?あなたはこう言うでしょう、炎を熱く燃え上がらせれば、あらゆる不浄、堕落が表面に浮かび上がってくる。これを漉し取り、この作業がすべて終わったとき、そこには純粋な金が残されるのだ!そして、あなたが、これこそ、あなたの姿であり、私の姿であると言うなら、あなたは堕落についてこれまで学んできたことを全て捨てて、結局、自分たちの中には良いものがあると主張していたところまで、戻ることになります!あなたは、自分の中には良いものも、悪いものもある、そして、悩みの炉とは、私たちの中の悪いものを取り去り、良いものを残すためのものだと、言いことになります!これは正しい教えでしょうか?違います!


悩みの炉は私たちから、悪いものを取り去って、私たちの中の良いものだけを残すため、そして、それを守るために存在しているのではありません!では、その目的は何でしょう?それは、私たちの中のキリストを練るためでしょうか?そんなことは、話し合う意味すらありません!キリストは練られる必要などありません!では、何のためでしょう?それは、堕ちた性質を持つ私たちの中にある者と、キリストであるものを分離し、その片方を除去して、もう片方に完全に場所を明け渡すためです!悩みの炉とは、十字架を利用して、あなたや私を取り除き、全ての場所をキリストのために明け渡すところです。神が求めているキリストの手段とは、私たちの中の良いものと悪いもののあいだに割って入ることではなく、キリストであるものと、私たち自身であるものにあだいを切り離すことです。これが、主がされていることです。主は、キリストが盛んになることを求めておられ、そうするために、主は自我、古い創造を排除しなくてはいけません。この領域で、キリストが取られる手段はこれが全てです。神の支配する領域は、練られた自我、修正された自我ではなく、自我をつぎはぎして作る何かでもありません。それは、自我を全て消し去り、全てがキリストとなるということです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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