2020年5月14日木曜日

【Daily Open Windows】5月14日

五月十四日

定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わされました。(ガラテヤ四・四)

定めの時が来たのです!アブラハムの人生を見れば、彼の信仰がいかに、神の定める時と深く関わり続けていたのか、すぐに分かります。アブラハムにとって、時という要素は、きわめて現実的なものであったし、また、おそらく、彼の信仰に対しても、もっとも影響が大きく、何よりも重大な要素のひとつだったのです。私たちは、アブラハムの信仰を持っているか、神が定める時々に、何度も繰り返して試されます。実際、ある視点から見れば、アブラハムの人生全体を俯瞰して、この時という要因のゆえにこそ、この人生は最後に、信仰の勝利へと登りつめたとも言えます。純粋に神から来たものということで言えば、アブラハムはその人生において、約束を取り付けていません。人生の最後に来てもなお、アブラハムは約束の成就を求めていました。もし、信仰を投げ出していたら、彼が、当然、次のような態度を取っていたでしょう。すなわち、こんなに長い時間、自分の全人生を通しても、あのことは成就されなかったのだから、これは、どう考えても、自分の側に、何か大きな過ちがあり、自分が分不相応な期待を持ったか、間違った方向に進んできたとか、そういったことの表れに違いない。しかし、ヘブル人への手紙を、実際に起こったこととして、そのまま受け取るなら、人生の終わりに至っても、アブラハムは信じ続けました。彼はかたく信じていたのです。すなわち、神には御自身で定めた時があり、その時が来て、初めて目的を果たされること、・・・・そして、彼自身が生きているあいだには成されなくても、いつかは必ず、成就されることを。しかし、彼が生きているあいだに――このすべてが神の目的の中に包み込まれていたのです――時というこの要素に関連して、試みを受ける出来事があり、そして、この要素で試みを受けて、約束は果たされたのでした。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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