2020年5月3日日曜日

【Daily Open Windows】5月3日

五月三日

神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。(第一ヨハネ一・五)

光は透き通っています。光は清らかさです。光とは絶対的な純粋さです。光とは誠実さです。光とは、開かれた人格です。光は何も隠さず、その動作と性質は、何かを隠すことと、あらゆる面で正反対です。そこに隠すべきものは何もなく、全てをあらわにし、すべてが現れます。ことばを換えれば、光は偽ることがありません。何も覆い隠すことを望まず、また、何かを見せかけたり、実際とは違う姿と思わせることもしません。光は、ただひとつだけのものであって、二重のものではなく、光には裏表がありません。そして、光は正しいもの――それが光です!光のあるところには、『暗いところが少しもない』のです。・・・・暗闇には、どれだけの様相と側面があるでしょう!――数えきれないほどの言葉で表されます。十字架を用いて、そのすべてを終わらせるために御霊が来たのですが、そこで、すべては、主イエスという人格の中で終わりへと導かれたのです。それは、十字架の意味を私たちの人生に働かせて、この暗闇の王国に属するすべてのものが取り除かれるように、そして、最後には、私たちからも、暗闇が消え去るようにです。聖霊を持ち、聖霊を受け、聖霊によって満たされることを思うとき、私たちはこのことを本当に思っているでしょうか?ここでもまた、おそらく、自分の考え方を、少しだけ、変えることが求められています。


主は、光であるだけなく、他の多くのものでもあることは事実です。主は力の霊であり、主は知恵の霊です。そう、主は他にも多くのものでありますが、そのすべてでありながら、主は光でもあるのです。そして、私たちは、力の中、賜物と能力の中、働きの中に『提示』される霊の姿を、主の人格という面よりも、大きく考えてはいけません。主が本当に、わたしやあなたの中で働きをされると、『心の中まで』調べられても、うろたえることなく、恐れることも、何かを覆い隠すこともない者へと、私たちを変えてくれます。私たちの生活と動機を、いくら調べられても、臆することはありません。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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