2020年5月29日金曜日

【Daily Open Windows】5月29日

五月二十九日

約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。(ヘブル十・二十三)

信仰を持つとき、二つのうちのどちらが私たちの特徴となるかが決められることになります。これは、本当に大切な点です。二つの生き方のひとつは、次のようなものです。すなわち、私たちはひどく麻痺した状態で生きるようになり、混乱、困惑、理解する能力のなさを通して、石のように硬直させられてしまい、もつれたものを解きほぐすこと、大切なものを選別すること、ものごとを真直ぐに、はっきりと見つめること、そして、目の前で起こっていることの意味をすることができなくなります。これがもたらすのは、完全な麻痺であり、私たちは腰に手を当て、無力さに打ちひしがれて、立ち尽くすしかありません。前向きな信仰がなくなると、このようなことが起こります。


主にある人生を生き、このような麻痺から解放されるただひとつの道とは、神に対する明白な信仰を持ち、その信仰により、次のような態度をとることです。すなわち、理解できても、理解できなくても、理由が分かっても、分からなくても、光があっても、光がなくても、私たちは神とともに進み続けるという態度、また、神が私たちの中で成されたこと、私たちの中で現実としたこと、神ご自身が私たちにとって何かということに基づき、神が私たちの中で起こされた変化によって、神とともにまっすぐに進んでゆくという態度です。私たちは前に進んでいます!愛する皆さん、私たちは人生の途上で一度ならず、次のことにはっきり気づく状態に至ることになるし、また、そうなってよいのです。すなわち、私たちは、暗闇と絶望と麻痺に向かってまっすぐに進んでいて、そこでは、意味のある働きや実り、その他、価値があるものから除外されてしまうのですが、そうならないために、私たちは自分に立ち帰ってこう言わなければなりません、『ここにあるのはどれも、不可解で、人を当惑させ、混乱させるものばかりだし、私たちの立場、人間的な立場から見れば、こんがらがっている。しかし、神は、神は間違いなく忠実なお方である。神がご自身のことをそう語っておられるのだ。』こうして、神に問いかけることなく、私たちは神を信じ続けます。私たちは、失敗や過ちですら、その責任を主に帰すほどに神を信じなければなりません。誠実に本心から生活の全てを主の思いにゆだね、自分の全てを神にささげる心を持ち、そして、個人的な利益やこの世の関心から切り離されて、神のためにだけ存在しているのであれば、私たちもそうなるはずです。私たちは、大きな過ちや失敗となったかもしれないものごとであっても、主がそれを備えられたのだと考え直し、そこでも主に信頼しながら、前に進んでいくことが必要です。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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