2020年5月18日月曜日

【Daily Open Windows】5月18日

五月十八日

主よ。今、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの手で造られたものです。(イザヤ64:8)

私たちは主の御手の中にあり、そして、御手の内にあることによって、主である陶器師の手の中に置かれているのですが、この陶器師は、はっきりした目標を持って働いています・・・はじめは、器がこの陶器師の手の中にあるのですが、後には、陶器師がその器の中に入ります。ここで言いたいのは、陶器師が仕事を始める前に、どのような器になるか、きわめて明確に、彼の心の中、彼の思いの中に描かれているということです。その形態は、外から示されていくものではなく、彼の心の中で、器はすでに完成されています。その上で、陶器師は、器を作り始め、そして、完成したとき、陶器師は自分が作り上げたその器の中にいるのです。神の中にあったものが、その器の中に現れたのです。


私たちはよく、人の作品を見て言います、『誰が作ったのか見ればわかる。彼ららしい作品だよ。』あるいは、『こんなふうに作るのは、いかにも誰それらしいね。』そう、神は、御自身の作品の中におられ、神は、御自身が造る器の中にいます。そして、主がなさることとは、まさしくこのようなものです。時には、粘土はかたちのない塊になるまでこねられて、つぶされなければなりません。主がその器によって示そうと意図したことが、そこに現れておらず、しくじりと傷があるために、主は、かたちもとどめないほどに、壊してしまうのです。そこに残るのは、くずれた粘土の塊です。しかし、そうされるのは、始めからやり直して、前にあったものよりも、完全な器を得るためであり、その中には主御自身がおられます。

主が、私たちに、どのような試みがあろうとも、耐えることができる恵みをくださいますように。風、吹雪、ひどい熱気、あるいは、御手の練られる力など、その試みはさまざまな喩えで表されますが、そのすべてが、私たちをよい場所へと導くものであり、そこでは、私たちは揺り動かされることがなく、そこでは、地獄も私たちを動揺させることができず、そこでは、神の力が敵のあらゆる力に対する勝利として現されるのです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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