2020年5月5日火曜日

【Daily Open Windows】5月5日

五月五日

私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。(ヨハネ一・十六)

人としてのキリストと同じ位置に来ることは、実に壮大なことであり、また、途方もない強さの源となります。そこでは、限りない天の備えが利用できるからです。私たちは、その場所に向かって一歩ずつ前進するしかなく、一気に到達することはできないと思います。私たちがそこに至るには、訓練という道しかありません――それは、私たちを、主だけにより頼むものに変えるという訓練ではありますが、自分を空にし、完全に砕かれるというそれ自体が目的なのではなく、そこには、神の恵み――神のあの恵み深さ――がいつもともにあり、空っぽになったときには、主の完全さで豊かに満たしてくれる、そのような訓練です。


そこには、よい面だけでなく悪い面もあります。神は、悪い面を最終的な目標として定めるようなことをされる方では決してありません。人を砕き、人を空にするとき、神は、必ず良い面で何かをされるのであり、それは、いつも、私たちを驚かせ、そのたびに、『そうだ、これは、私たちではなく、主から来ている』と言わせずにおきません。私たちが、この訓練という道によって、少しずつ知るようになるのは、人間のあらゆる可能性をはるかに凌ぐ備えが天にはあること、そして、その備えはいつでも使える状態にあることです。これが、霊性を作り出すもの――生活や奉仕を霊的にするものです。すなわち、これは、天に用意された備えを引き出し、天から来たままの生き方をすることです。これが、霊性というものです。霊的な生活と霊的な歩みは、このようなものからなっています。

この備えは、自分自身から、または、世から出てくるものではなく、全て上から引き出されます。私たちを支配するものは、人や世から来るものではなく、上から来るものです。すべてのものは、完全に上から来ており――そして、人間から来るところは全くなく――このこ結果として、生活も働きも、霊的なものとなります。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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