2020年5月20日水曜日

【Daily Open Windows】5月20日

五月二十日

あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。(マタイ十六・二十三)

この節が語っているのは、神の御心に関わることでは、、包括的で、かつ、多くのものごとを覆う立場を取らなければならないということだと思います。私たちは、はっきりしと意識して、積極的にこの立場を取ることが求められており、そして、時には、どんな手を使ってでも、私たちの心を乱し、御心に従おうとする意思を弱め、別のはなしを持ちかけ、いろいろな問題や利害に光を当てては、考えを変えさせようとする敵の策略と出会うことを、心にとめておかなければなりません。私たちは必ず、この攻撃、このつまずき、この妨げにぶつかるし、そのときは、断固とした態度で臨まなければなりません。


主がペテロに対して取られた行動は、非情ともいえるものでした。そこで主が取られた態度には、本当に一片の弱さもありませんでした。本質を見抜いていた主には、もし、この申し出を受け入れたら、御自分がエルサレムには行かないし、十字架にも付けられないことがはっきり分かりました。これは、あれこれが神が望まれる道であると、はっきり確信したその後で、何ごとかが起こり、そのために、長い目で見れば、その道に至ることができず、その御心を果たすこともできないとなったときに、どうすべきかという問題です。そうなったら、どこまでも非情に対処して、その何ごとかを、排除して、捨て去らなければなりません。主の十字架は、多くの人との関わり、また、さまざまな言葉の中で、私たちに入ってきます。

それから、ペテロと同じように、私たちも、霊的な力に満ちたところまで本当に到達しようするなら、この敵の足がかりとなるものを、常に排除し、拒絶しなければなりません。敵の手から、私たちを破壊するもの、この敵に私たちを破壊する力を与えるものをすべて奪うことが必要であり、また、私たちは、自分のことで、敵に攻撃の足がかりを与えて、神の御心を砕くものが生じたら、それがなんであっても、断固として対処しなければなりません。この天国と地獄の戦い、神とサタンの戦いは、私たちの魂の中で続いてゆきますが、私たちに与えられている慰めがあり、すなわち、それは、今も生きて、とりなしをしてくださる大祭司がいるということです。主イエス様がどんなときもく、とりなしをしてくださる、その中に、私たちの大きな財産があります。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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