2020年5月11日月曜日

【Daily Open Windows】5月11日

五月十一日

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。(マタイ十一・二十九)

キリスト者に課せられた大きな課題はキリストを学ぶことです。これは、ただ学習する課目ということではありません。お尋ねしたいのですが、あなたの人生でもっとも大きな願いは何ですか?私の願いと同じでしょうか!私の心の中の何よりも大きな願い――長く生きるほど強くなっていく願い――とは、主イエス様を理解することです。主のことで、分かっていないことが、私にはまだ、たくさんあります。私は、主のことになるとすぐにたくさんの問題にぶつかりますし、それは、知的な問題では決してなく、霊的な問題、すなわち、心の問題です。なぜ、主イエス様はあのことを言われ、また、あのことをされたのだろう?なぜ、主は、このようなことを私にするのだろう?主は、いつも、私にとってあまりに深遠な方でり、私は、主を理解したいと願っています。主イエス様を理解することは、人生でもっとも大切です。そう、私たちがここにいるのは、主が私たちを、ご自身のより良い理解へと導くことができるようにです。御言葉の中身は、新しくなることはありません――よく知られた古い聖書のことばです。おそらく、私たちは、自分がヨハネの福音書をよく知っているつもりでいます。確かに、あなたはそうかもしれませんが、私は違います。この福音書には、私が知っているよりも、ずっと深い真実と価値が含まれていることに、私は読むたびに気づいています。・・・


弟子たちに課せられた課題のひとつは、主を知ることであり、また、主が弟子たちを召した働きを行うことです。すなわち、『わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい』(マタイ十一・二十九)。イエス様は、主ご自身という人格の中に、天からの知識を伝えるために来られたのであり、この主という人格の中で、私たちは天の知識へと入るのです。大切なのは、ただ主が何を言われるかではありません。ご自身が何であると、主が言われるかということです。本当の教師とは、多くのことを語る人ではなく、言葉を発するとき、自分自身が持つ何かを与える人のことです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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