2020年5月23日土曜日

【Daily Open Windows】5月23日

五月二十三日

人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。(マタイ二十四・四、五)

気が付けば長くなってしまったこの人生と聖職の中で、私が繰り返して見てきたのは、愛する神の人々が、御霊による解放の中で、大きな約束を与えられて、主とともに広い世界へ出て行きながら、何らかの『主義』に捕らえられてしまう姿です。彼らは、その『主義』の教えから自分で抜け出すことができないのです。何度も繰り返して、私はそれを見てきました!悲劇です。・・・ここ数年のあいだに、アメリカとヨーロッパの全域を覆うように広がってきた大きな主義があります。私があえて、取り上げたい主義とは、はっきり、名前をあげますが、万人救済主義というものです。この『主義』は、たくさんの人たち心を捕らえてきました!そして、ひとたび、この主義に捉えられてしまったら、もう、その人と行動を共にすることは二度とできません。それにしても、私が以前、よく知っていた彼らは、ああ、有望な人たちでした・・・とても有望だったのですが、この主義がこっそりと、魅力的で心を惹かれるものとして彼らの生活に入り込んできました。・・・それは、心に強く訴える教えであり、最終的には誰もが、悪魔自身でさえも、救われるというものでした。あなたなら、この考えにどう応えますか?行き当たりばったりに、誰もが救われる・・・こうして、福音のもっとも大切な教えの多くが切り捨てられているのです。


あなたは、これをとんでもない間違いと呼ぶかもしれませんが、ただの間違いとも言えないところもあります。全面的に間違っているわけではなく、彼らの中では、確かに真実ではありますが、この考え方は、受け入れた人たちにとって、すべての始まりであり、すべての終わりになってしまいます。もはや、そこから先に一歩も進むことはできません。彼らは大きな足がかり、この天なる摂理を支える神の完全な目的という広大な土台を失い、せいぜいその土台のごく一部に過ぎないところで行き詰ってしまったのです。行く手をふさがれました・・・ユダヤ教と同じで、行き止まりに来てしまったか、同じところを回り続けるだけで、その決まり切った輪から抜け出せなくなっています。私たちもまた、これを警告と受けとめるべきなのは、ご存知のように、このこと――その類のもの――こそが、何世紀にも渡って、ずっとキリストの完全さを損ねる敵だったからです。・・・

世界には数多くの反キリストがありますが、反キリストとは、ご存知のように、尻尾が生えて、三又の銛を持った、恐ろしい想像上の生き物ではありません。そうではなく、反キリストとは、キリストの居る場所に置き換わろうとする何かのことです。・・・そして、生まれたままの判断、生まれたままの力を持ってしては、あなたに本物と偽者を区別することはできません。キリストと反キリストはとてもよく似て見えます。あなたにはその違いを見分けることはできなくても、油注ぎが教えてくれます!あなたが受けた主の油注ぎは、何かしら、偽物と出くわしたとき、その油注ぎが本当にその場を支配していたら、それを判別し、ことばではなく、内なる声で、『気をつけなさい』と教えてくれます。この声によって、何かあまり明白ではないもの、濁っているもの、安全ではない何ものかが、そこにあることを、あなたは感じ取ります。・・・『ここには何か、気に入らないところがあって、なぜかは説明できないけど、喜んで受け入れる気持ちになれない・・・私の中の何かが、気をつけろと言っている。』あらゆる虚偽と惑わしにあふれているこの時代にあって、強く求められているのは私たちの霊的な識別能力であると、私は確信しています。すなわち、聖霊を知ることによって、主があなたに警告できるようになることです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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