2020年5月21日木曜日

【Daily Open Windows】5月21日

五月二十一日

私は、キリストとその復活の力を知りたいのです。(ピリピ三・十)

彼が書いたものの中に、自分がどれだけ主イエス様に献身的に尽くしてきたかを語ることばはほとんど見られません。全体の文脈は、ある一人のお方に、心の全てを余すところなく注ぎだすものであり、そのお方とは、彼が自分は『とらえられた』と言ったその人、その思いのすべてを、『私はキリストを知りたい』というこの短い節の後半に集中させたお方のことです。このことばで表された望みについて印象的なことは、それが明らかにされた時間です。ここにいるのは、イエス・キリストの啓示と知識を、その時代に至るまで地上に存在した誰よりも多く受けた男です。その知識は、彼がこう言った時に始まりました、『神は、御子を私のうちに啓示することをよしとされた。』その始まりが彼を打ち砕き、それが意味するものを捕らえさせるために、彼を砂漠へと送り込みました。


後に彼は、『第三の天にまで引き上げられて、人間には語ることを許されていない(と彼が述べた)、口に出すことのできないことばを聞いた』のです。この二つの経験のあいだとその前後においては、キリストの知識が常に成長している様子が、明白に見て取れます。その全てが終わり、人生の終わりに近づいたこのときになって、彼は、激しく泣きながら言っています、『私はキリストを知りたい』と。少なくとも、私たちに確実に言えることは、ここで語られているキリストは、間違いなく、実に偉大なキリストであり、人間が持つ最大の能力と理解をはるかに超えていたということです。これは、私たちが認識し、理解できる範囲に限定されたキリストの姿とは、あまりにも対照的です!私たちが見てきたものよりずっと多くが、キリストの中にはあるのです!

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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