2020年5月27日水曜日

【Daily Open Windows】5月27日

五月二十七日

兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。(黙示録十二・十一)

今日、主の民でありながら、サタンの下に支配されている人たちが数多くいます。彼らを操って、人を告発するように仕向け、人を裁き、非難したい気持ちを起こさせ、彼らの心から平安と確信、安らぎ、希望を奪い去るので、このような人々を見ると、自分自身の欠点、罪にまみれた性質について、絶えまなく語っていることに気づきます。彼らは、自分から離れられず、自分ではそうなりたくない姿、変わりたくても変われない自分の周りを回っています。このような人たちにとって、サタンからの解放とは、彼らのことで御父は御子に満足されていることを日々、新たに思い、また、御父の前に受け入れられている自分の居場所を見出すことにあります。これが、解放の道、敵対者を追放する道です。これが、告発者である敵を打ち負かす道です。そう、流された血潮という土台は、この欠けたところなく、全面的で、全てに渡る勝利を得るために十分なものです。『兄弟たちは、小羊の血のゆえに彼に打ち勝った』のであり、そして、流された主の血潮が持つ意味の中でも、あらゆる意味で最上、かつ、最高のものとは、その汚されることのない罪のなさという主イエス様の性質です。このようなお方が、それまでいたことはなかったのです。


ああ、私は、キリストの中に来られたのが神であったことをとてもうれしく思い、キリストの中に来られた神のことを喜んでいます。あなたには、神に罪を負わせ、罪を神の責任に帰すことができるでしょうか?来られたのは、キリストにある神、すなわち、あらゆる意味で絶対的に聖なるお方、その中に何の罪もなかったキリスト、人のかたちを取って来られたキリストの中の神だったのです。そして、何一つ欠けるところのない神の性質によって、権威者であったサタンは敗れ去りました――あの場所でです。ほむべきかな、神!私たちは信仰によってこのかけがえのない血潮のすばらしさを受け取ります。つまり、主イエス様いよって完成されたみ業が、私たちの手にゆだねられるのです。それこそが恵み――福音のすばらしさです。私たちが、自分自身を分析し、自分が持つ価値を探ろうとし始めるなら、それは、とても惨めな仕事、ひどい結果となり、いつまでも終わることがありません――想像してみてください、愛する皆さん、自分について知っていること、神が私たちについて知っていることの全てを思いながら――すなわち、『人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。わたし、主が心を探り、思いを調べ』る。・・・確かにこのとおりではあっても、あなたと私は今、神の臨在の中、すなわち、私たちではなく、キリストの罪なき完璧さをもって、まったく罪のない完璧さを、神からその手にゆだねられた者として、立つことができます。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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