2020年5月28日木曜日

【Daily Open Windows】5月28日


五月二十八日

いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。(使徒行伝一・七)

生活の環境や状態が変わって、今、置かれている立場と全く違うところに移されると、そのとき、私たちは、これは、何かが起こって、神の目的が、達成されようとしているのだと考えがちです。それに対して、主は、こう言うでしょう、『違う。大切なのは、環境ではないし、条件でもなく、あなたなのだ。』神学を修め、聖職者の位(くらい)に就いて、聖務の日課を与えられることに意味があると考える人もいますが、このような人たちは、公的な立場に着いて、そこで承認されれば、そこから人生の目的が果たされてゆくのだと思い込んでいます。そのために、彼らは、聖職者の地位を与えられ、職務に就けられるのを待っています。主は言われます、『いや、大切なのは聖務ではない、聖職者として認められることでもないし、地位に就けられることでもない。鍵となるのはあなただ』と。そして、それとは別に、多くの者は、組織、社会、責務、自分が関わっている教会のつながりに目を向けており、いつか、新しい日が来て、新しい人生が始まること、そして、何であれ、自分が属する団体が行動を起こして、そこで、自身の人生を捧げる働きが始まることを期待しています。これに対して、主は言われます、『大切なのは、教会、任務、組織、社会、団体ではなく、あなたなのだ。』使徒行伝の第一章に出てくる男たちは、自分の外で何かが始まるのを待っていました。彼らは、それを国の再興、全国家的な――おそらくは世界的な――運動となるべき秩序の構築と呼びました。すなわち、自分の外側に新しい秩序が打ち建てられ、その中に自分の居場所を見つけて、おそらくは、そこに自分が配置され、役割を与えられ、あるいは、職位を受けることを彼らは願ったのです。そして、主は、このような考え方をすべてをはじき返して、言われました、『いや、問題はそのようなことではなく、あなたたちだ』と。実際に、その通りであったことが明らかにされ、そのように行われてきました。私たちは一人一人が、神の目的にある全てのことに通じる鍵となれるのです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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