2020年5月31日日曜日

【Daily Open Windows】5月31日

五月三十一日

あなたは、あなたの生まれ故郷・・・を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを祝福しよう。(創世記十二・一、二)

神からの呼びかけには、恵みと真実の両方が含まれています。真実とは、人を切り離す道具です。『あなたは、出て行きなさい。』恵みは約束です。『わたしはあなたを祝福し、あなたの名は祝福となる。』人は恵みを、すなわち、神が『わたしが祝福する』と言われるものをつかみながら、そこに伴う要求――『あなたは、出て行きなさい』という要求には従わないことがよくあります。さて、これは私たちの救いの初歩にだけ当てはまる問題ではなく、キリスト者の生活のさまざまな局面で、新たな啓示と呼びかけがあったときにも起こることです。主の真実と奉仕、証しと証言、明け渡しと経験を、より完全に、より高く受け入れるようにという神からの召しは、主が恵みによって導こうとする者たちのもとに、疑いなく、そのたびごとに異なるかたちをとって、天からもたらされます。この召しには定まった時があり、明白で、困難なものです。語り手は、どこの何者ともわからない人、よい評判もなく、認められているわけでもなく、この世的な名声も名誉もない人かもしれません。その人は、聞くものの心に、神からの伝言の大切なさわりの部分だけを残すと、すぐに去っていきます。その後、それを受けた者たちの生活は、前と同じままではいることはできません。


『召し』のことばが響いたのです。大きな危機が引き起こされようとしています。問題は、気づかないうちに、あるいは、知りながらも制限を受けてきた生活と、神が提供する生活のあいだにあります。しかし、いつもそうであるように、この真実は、『出て行く』ように呼びかけます。それは、人から愛される、比較的気楽な生き方から出て行くという呼びかけかもしれません。そのために、よい評判は危うくなり、名声を失い、人からもよく思われず、『変わり者』、『おかしな人』、『極端』、『危ない人』という烙印を押されるかもしれません。それによって、さまざまな偏見、伝統、そして、宗教的な世界からの嫌悪と向かい合うこともあるでしょう。除け者にされ、じゃまもの扱いされ、また、疑惑の目を向けられるかもしれません。世に受け入れられた基準を超えて、ご自身とともに前進するようにという神からの呼びかけに応えるとき、それに伴って、多くのことが起こります。これが、たましいの進む道を見つけるための代価です。それは、神と人のためにより高度の奉仕をできる者となるために、払わなければならない代償です。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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