2020年6月11日木曜日

【Daily Open Windows】6月11日

六月十一日

父よ。わが霊を御手にゆだねます。(ルカ二十三・四十六)

『どうしてわたしをお見捨てになったのですか。』十字架の物語がここで終わりとならないことを、私は本当に嬉しく思います。この叫び、『わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか、』これは恐ろしい叫びですが、十字架から発せられた最後の言葉は、これではなかったのです。『父よ。わが霊を御手にゆだねます』(ルカ二十三・四十六)。主は、御父との完全な交わり、絶対的な信頼という土台の上に、ここで立ち返っています。勝利が得られ、働きは完了し、敵は敗れ去り、そして、足場はしっかりと固められました。サタンが言うことの全て、霊的に深く沈みこんでいる時間を狙ってサタンが語ってくること、すなわち、主が私たちを見限った、私たちを置き去りにした――こんな考えを吹き込もうするサタンのことばは、全て偽りです。あなたは、この事実の本当の重みを感じていないかもしれませんが、もし、あなたが、あの大きな瞬間を迎えたとしたら、すなわち、もうその瞬間を迎えた人もおそらくいるでしょうが、もっとも誠実で献身的で大いに用いられた主のしもべたちの多くが既に知っているその瞬間とは、暗闇の力が全てを覆いつくすほどに広がって、群れを成して集まり、そして、あなたと主のあいだに入り込もうと試みながら、あのささやき――『主はお前を見捨てた、お前を私に手渡した』といった意味のささやき――を始める瞬間のことであり、もし、このような瞬間を迎えたら、そのとき、あなたは、それが決して軽いことば、取るに足りないことばではないことに気づくはずです。ゴルゴタの丘の本当の深さが理解されたのは、私たちの主が激しい叫び声を上げて、その叫びが答えられ、勝利のうちに十字架から降ろされて、休息へと入られたときだったからです。『父よ。わが霊を御手にゆだねます。』これは主ご自身のためではなく、私たちのため――あなたのため、私のため――でした。・・・神に見捨てられる孤立感を知ることなど、人間には決して、必要はありません。人は、自分の信頼、自分の信仰を、神が人のために人間となられたというこの長きに渡る問題――『あなたの御顔の光』という問題――の上に置いています。


ですから、祝福された主によって、天がいつも私たちのために開かれていることを喜びましょう。私たちは、このことについての真実、事実だけを述べてきたのです。もっと多くのことがこの事実と深く結びついていて、それが何かは、これからの生きていく上で、主が示してくださるでしょう。その中で、この開かれた天を享受するのはどのような人かということも、主は教えてくれますが、それは、主がお決めになることです。私たちのためには、天が開かれえるという事実を、主に感謝しましょう。主がこのようにされたのです。しかし、主はナタニエルに対して、こう言っています、『天が開けるのを、あなたがたはいまに見ます。』神は、私たち皆が、同じ祝福された状態に置かれることを認めてくださったのです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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