2020年6月4日木曜日

【Daily Open Windows】6月4日

六月四日

私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。(ガラテヤ四・十九)

主の御名を冒涜すること、そして、主の栄光を取り去ることは、古い創造が、行わずにはいられない習慣であり、いつも進む道筋です。古い創造から来るものが、神なるものの領域に入り込めば、そこで、遅かれ早かれ、起こることは何でしょう?その人は、自分が栄光を受け、神の名誉を貶めます。それは、悲劇的で暗い『教会』の物語ではにでしょうか?すなわち、古い創造の力といのちに生きる人間が、神なるものの中に入り込み、自分の名声を求めるようになるのです。主の教会は、人間がよい評判、地位、影響力といったものを探す絶好の狩場となってきたのです。肉は常に、そのようなことをします。これが、神の栄光を取り去り、神の御名を冒涜するのです。そうならないために、新しい創造が必要であり、そこでは、すべてのものが神から来ているのです。・・・・


今日、どこへ行っても、主の民が忌むべき状態にあるのが見られます。死、弱さ、制限、敗北、失敗、立つことも続けることもできない弱さが広がり、そして、批判やあら探しをしたり、人を裁くつもりはなくても、多くの人たちと語りあう中で、キリストの計りは哀れなほど小さくなっているという結論に達せざるを得ません。何年にも渡ってキリスト者という名前を背負ってきた人々と、主のことを語っている時、彼らが、全く知らない言葉を聞いているかのように、茫然とあなたを見つめていることがあります。私たちについて言えば、ただ、キリストが全ての道筋でさかんになって行くよう、主にお願いしましょう。火の燃える炉という恵みを求めましょう。なぜがそれが恵みであるか言えば、すなわち、私たちの中で試されているのは、そこにキリストから来ているもの、自分の中の良いものがどれだけあるかということではなく、キリストから来ていないものは消えさり、全てはキリスト、キリストだけとなっているかということなのです。最後には、この宇宙で、キリストの他に知られているものは何もなくなります。主がすべてのものを満たし、それはすばらしい日となるでしょう!私たちの中で、主が完全にかたち作られますように。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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