2020年6月5日金曜日

【Daily Open Windows】6月5日

六月五日

ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。(マタイ十八・二十)

世界の歴史のこの時代に、神が特別に心にかけていることはなにか、そして、それを踏まえて、主の子供たちである私たちは、いったい何へと召されたのかということを、私たちは明白に理解していなければなりません。この摂理の中で神が行っていることとは、霊的で天的なイスラエルの建設です。これを行う中で、神は古いイスラエルの律法を、霊的なかたちで繰り返しているのです。神は、古いイスラエルに対して御自身がなさった時と同じやり方に沿っているのですが、今は、地上の土台ではなく、天的な土台に則って行われています。神の取られる方法は変わることがあっても、神の原理は、決して変わらないからです。神は、旧約聖書という地上の土台を離れ、新約聖書では天にある土台へと移られました。神は、現世的なことがらから霊的なことに移られたのであり、霊的なものは、現世的なものよりはるかに大きいのです。・・・


そして、この事実が、新約聖書の中に与えられている啓示――キリストの啓示、そして、主の御体のすべての部分が組み合わされてひとつの神の宮を作り上げているというあのすばらしい啓示へと、私たちを導きます。キリストは私たちの宮であり、宮が本来あるべきであった姿を、この主の中に見ることができます。ああ、このことで、どれだけ多くの人々が迷わされてきたでしょう!私たちは、『教会』と呼ばれるたくさんの場所に行きますが、このことばはその建物の名称にすぎません。人がその場所で祈るときは、よく、このようなことを口にします、『私たちは今日、主であるあなたの家に参りました。私たちは、神の家におります。』彼らは、実際には建物のことを言っているのです。しかし、神が宮を持つために、建物はいりません!『ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです』(マタイマタイ十八・二十)。イエス・キリストの内へと集まった人たちが、神の宮を作り上げます。特別な建物ではなく、キリスト・イエスの中にいる人たちが宮なのです。これこそ、この摂理の中で、神が行われていることです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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