2020年6月28日日曜日

【Daily Open Windows】6月28日

六月二十八日

どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。(ローマ十五・十三)

あなたと私に聖霊が注がれたことが事実であれば、確かにそのはずなのですが、この世における私たちの存在は、神にとって何か前向きな印となるはずです。私たちにとって、世に出て行きながら、そこに何も書き残さずに、また戻って来ることは本来、ありえないはずです。私たちが近づくとき、世の人々は、何かを感じなければなりません。聖霊のもとにいる私たちがここにいるからには、イエス様もそこにいるのですから、悪魔自身も、私たちにすぐに気づくはずです。どこであろうと、イエスさまがいながら何も起こらないことなどあり得ないし、そして、今、イエス様は、信じる者たちの中に住む聖霊によって、ここにいるのです。こう考えると、キリスト者のことで全く中立なものなど、ありえないことになります。・・・・


聖霊は前向きなものであって、後ろ向きではなく、もし、御霊が本当に私たちの生活の主となっていれば、その生活は意味あるものになります。私たちの生き方が、永遠に渡る影響を残すことになるでしょう。御霊を遣わされた神に感謝します!注がれた油が、私たちの生活の中で、自由に働くことができるように、忘れずに主にお願いしましょう。聖霊から生まれる行動は、誰かを糾弾することかもしれないし、人をあがなうことかも知れませんが、とにかく、御霊はどっちつかずの姿勢を示すことをせず、あなたや私の上に油が注がれていれば、悪魔は必ずそのことに気づきます。これは、必ずしも悪いことではないと、主が理解させてくださいますように!悪魔にこう言わせたほうがいいと思いますか、『ああ、この男、この女は別にどうでもいい。コイツのことは、気にかける必要などない!』以前、ある友人がいたのですが、その友は、あいさつをした後、別れ際に必ず、私の手を握って言ったものでした、『さよなら、じいさん。主が、あなたを、悪魔にとっての厄介者にしてくださるように!』聖霊が本当に私たちの上にいたら、必ずそうなるでしょう。主イエス様こそ、まさにそのような方だったのですから。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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