2020年6月26日金曜日

【Daily Open Windows】6月26日

六月二十六日

耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。(黙示録三・二十二)

男も女も、主の声を聴く内なる耳、内なる沈黙、内なる場所を持っていなければ、主の奉仕で大いに用いられるようにはなりません。そして、はっきり言っておきますが、主がいるべき場所に立たれるのは、主でなければならず、どれだけ善良な人たち、善良な書き手たちであろうと、主の場所を譲り渡さないように、しっかりと気を付けなければなりません。


持っている本を掃き出さなければならないとき、人間の声を断ち切らなければならないとき、主の前に静まって聴かなければならないときがあり、また、それだけではなく、私たちは、まわりがあらゆる雑音であふれている中でも、主に対して常に開かれている耳を、神の恵みによって、培うようにしなければなりません。街の喧騒の中、また、仕事に追われる生活の中でも、主は何かを伝えなければならず、これは困難ではありますが不可能ではありません。ただし、主が語りかけてくださるのは、みことばを聞くことの価値を認めるものたち、そして、語ってくださるまで、主の沈黙を受け入れて待つものです。周囲にあらゆる音と声があふれかえっているときも、主のことばを聴く耳が備えられ、養われています。今のこの孤立の時代にあって、この耳こそ、主が求めているものであり、また、悪魔はその耳を捕らえてやろうと休むことなく働きかけてきます。

さて、これはごく初歩的なことではありますが(私たちは深く追及したいのではありません)、何にもまして大切なことです。霊的にどれだけ成熟しているかにかかわらず、あなた私もよく知っていることがあります――すなわち、悪魔の目的のひとつは、私たちの耳を神からそらすこと、神に向けた静かな時間と静かな耳を、私たちが持てないようにすることです。外から力づくで入り込んでくるものがあり、そして、少しだけ静かな時間を持とうと決めると、すかさず様々なことが生じます。ここで、あなたは、この耳を守るために戦わなければなりません――このことは、ご存知でしょう。この戦いがどこにつながっていくか分かりますか?悪魔の攻撃を打ち消す動き、この宇宙に書き留められている神の心、聖職者の務めが表すもの全て、神を導き入れるもの全てが、このことと結びついています。すなわち、耳を持つ神です。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

0 件のコメント: