2020年6月29日月曜日

【Daily Open Windows】6月29日

六月二十九日

わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。(ヨハネ六・六十三)

このいのちは、きわめて広大ないのちです。このいのちは、神の偉大なご計画に達するものであり、私たちはその一部です。すなわち、私たちは、『神のご計画に従って召された人々』です。私たちは、このご計画を知りたいと願います。このご計画の中で自分が置かれている位置を知りたいし、自分にできること、自分の役割りを知りたいと思います。そのためにすべきことは何でしょう?それが何かを必死で学ぶことではなく、主のいのちに入ることです。人間の体がどのように動いているのか、科学的な知識を得ることは非常に興味深いかもしれませんが、それを知らなくても生きていけます。生きていれば、必要なことは自然に行われます。次の呼吸をすべきかどうか、自分で決めたり、座り込んで心の中で思い悩む必要はありません。ただ、息を吸い込めば、他のことはそれに伴って行われ、全ては適切な順序で続いてゆきます。呼吸が適切であれば、それに続いて多くのことが行われます。そう、ただ生きてさえいれば、他の全ては後についてきます。ことばを換えて言えば、あなたはただ、動き、御霊の中にいのちを持つだけでよく、そうすれば、神の全ての計画と秩序がそれに従います。あなたは、その中に入って生きるしかなく、自分で好きなようにはできません。


すなわち、主の目的とは、民を定められた場所へ導き、そこで、民が主とともに歩き、彼らが主に完全に心を開いて、主とともに歩くことがもたらす全てのものを受け入れる備えをさせることです。時には、そのために、副産物的に生じた非常に多くのものを置いていかざるを得なくなるでしょう。おそらく、たくさんのものを捨てることになり、そこには宗教的なことがら、一度は受け入れたことも含まれますが、これも、主とともに歩くためです。そこには、代価が伴うかもしれません。誤解や孤独、他にもたくさんあります。しかし、主に対して本当に心を開いて、他のことは何も気にせず、そして、何を犠牲にしても、また、巨大なキリスト教の秩序や宗教的な機構の一部として何をすべきか、人に(彼らの考えから)命じられようとも、主とともに歩く決意さえがあれば、あなたは、花が太陽に向かって開くように、自然に、神のすべての隠された思いへと入り、そして、これまで夢想だにしなかったほど、大きな意味と可能性と能力と強さにあふれた広大な世界が存在することを発見して、その世界を理解することになります。主は、その世界を私たちの前に広げて、見せようとはしません。私たちが御霊の内に歩く中で、その世界を発見することになります。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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