2020年6月30日火曜日

【Daily Open Windows】6月30日

六月三十日

主と交われば、一つ霊となるのです。(第一コリント六・十七)

この関係の性質は、本質的に霊的ものであり、すなわち、これは、霊の結びつきなのです。『主と交われば、一つ霊となる』のです。『神を礼拝する者は、霊によって礼拝しなければなりません・・・、』なぜなら、『神は霊』だからです。この結びつきは、ですから、霊による結びつきです。この結びつきは、他のどのような結びつきよりも深いところまで届くものです。それ以上、深く進むことは、私たちにはできません。この結びつきによって、人の存在のもっとも深いところ、もっとも本質的な部分にある性質が定まり、その人が本質的に神に見られているか、霊のうちにあるかどうかが決まります。その土台となるのは、主のいのちです。これは、ヨハネが非常に明確に述べているところであり、ヨハネの福音書の中でわかりやすく例示したうえ、自 分の書簡でも、直接的なことばで述べています――『・・・・神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということ』です。『御子を持つ者はいのちを持っています。』このことばは、私たちの交わりは御父との交わり、御子との交わりであるという本質的な宣言に重ねて述べられたものです。この交わりは、主のいのちを受ける交わりであると説明されています。神との結びつきの土台は、新生の中で、神ご自身のいのちが私たちに与えられていることであり、そして、その上に神はすべてを建て上げ、また、この事実に基づいて、神はものごとの価値を認めるということです。この土台がないところでは、人との結びつきについて、神は何も行うことができません。


神の御心に近づいて、それを実現するために、神は、ご自身の存在の本質そのもの、すなわち、主ご自身のいのちを人間に注ぎ込まなければなりません。神は、人の生まれながらのいのちを土台としては、霊的で永遠で普遍的な御心を実現することはできません。聖書にはっきり記されているように、人間が生まれながらに持ついのちは、神のどのような目的をも実現する土台とはなり得ず、それをできるのは神ご自身のいのちだけです。このため、ご自身のすべての希望を叶えるために、神はまずご自身の土台を据えます。神の希望は、ご自身のいのちの中にあって、私たちのいのちの中にはなく、そして、神は、ご自身の希望という土台を新生した人の内側に据えて、この土台の上に、ご自身の御心のすべてを築き上げてゆき、全ての御旨の実現へと進まれます。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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