2020年6月14日日曜日

【Daily Open Windows】6月14日

六月十四日

それだから、わたしたちは今後、だれをも肉によって知ることはすまい。かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方をすまい。(第二コリント五・十六、口語訳)

ここで『肉』ということばは、幅広い、一般的な意味で使われています。肉によって主を知ろうとしないこと、また、肉によって互いを知ろうとしないということを、お互いを生まれたまま、生まれた世界でするような知り方をすまいと言うなら、私たちは真剣に考えるです。それが、現実に何であろうと、この中にすべてが包み込まれます。私たちは、キリストを知っているように、すなわち、霊的に、お互いを知っています。この文脈が伝えているのは、新しい創造における私たちのキリストとの関係は、純粋に霊的なものであり、そのことから、キリストにある私たちのお互いとの関係もまた、霊的な関係であるということです。この新しい創造の全体が霊的なものであるのは、それはキリストそのものだからです。


このことが私たちを、全ての核心へと向かう入り口へと導きます。この領域で、すべてを決めるのはキリストの計りです。そこにあるすべてのものは、キリストの計りによって決定され、支配されます。キリストがこの領域全体を満たしています。キリストがこの領域全体を霊的に支配しています。この新しい創造の領域から、キリストから来ていないものはすべて取り除かれます。あらゆるものが神から出ているのです。私たちに関して言えば、神の世界とは、全てキリストであると言えます。私たちにとって、神のいる領域とは、隅から隅までキリストです。信じる者としての私たちにとって、神と関わりながら、キリストとは関わりのないものなどありません。神が受け入れるもので、キリストではないものはありません。神が祝福されるもので、キリストでないものはありません。神が用いられるもので、キリストでないものもありません。神の目にとまり、考えに入れられるもので、キリストではないものなどありません。すなわち、神の領域全体に満ちているものとは、私たちに関する限り、キリストであり、キリストの他にはありません。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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