2020年6月8日月曜日

【Daily Open Windows】6月8日

六月八日

あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。(第一テサロニケ五・二十四)

私たちは、主イエス様が歩いた霊的な旅路を新しく理解することが必要であると、私は考えています。主が神の御子であったから、また、主が誰であったかということから、主が生きた道は、私たちの道より安易なものであったと、私たちは考えます。主には、私たちが持っていない特別な力がありました。主には、私たちにはない性質がありました。私たちにとって、このようなお方である主が、試みと困難と逆境にさらされ、耐えられるぎりぎりのところまで試されて、そこで初めて、天の介入が求められて抜けだされたという大きな謎は、とても理解できないものです。主はそのようなところへ連れて行かれました。自分からは決して、通ろうとはしなかったはずの場所、天国が介入しようともせず、み使いたちも主に仕えなかったところへと、一度ならず、引き出されたのです。あなたは、『自分は、こんな経験を一度もしたことはない』と言うでしょう。ああ、実はあるのです。実際に、あなたの目の前に天使が降りてきて仕えたことはないかもしれませんが、信者の中には、かつてこの道へと入り、その奥へと少しでも進みながら、心の中では、『でも、神と天国から見れば、私は今日、ここにはいないのと同じだ』と考えるものは一人もいません。私自身の証しとして、自分自身を屈服から救うために、一度ならず、天からの手助けを求めたことがありました。そして、私たちにとって真実であることは、主にとっても、より確かな真実なのです。私たちには、この大きな謎は理解できませんが、主が霊的な旅路を歩かれたとき、そこで受けられた試みと誘惑は、あなたや私がこれまでに必要としたもの、これまでに受けたものや、これから味わうものより、はるかに深かったのです。確かに、『すべての点で、私たちと同じように』ということばは事実ではありますが、主にとって、そこには、私たちが受けるものより、ずっと大きな苦しみがありました。そのすべてを通して、主は完成され――『完全なもの』とされたのです。『キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ(完成したものにされ)、・・・・とこしえの救いを与える者となりました』(ヘブル5:8、9)、すなわち、『永遠の贖い』(ヘブル9:12)です。主は、私たちのために、完成へと向かう道の終点に到達されました。そして、主ご自身が、神は私たちの中でもそれを行うことができるという証明です!これが大切な点です。主は、信仰に対する『権利証書』のようなものとして、そこにおられます。すなわち、神は、主をその場所へと送られたのだから、他の誰をも、同じところに至らせることができるという保証であり、確約です。神は、私もあなたも、最後にはその場所へと至らせることができます。神は、ご自身の働きを、私たちの中で完成させることができます。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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