2020年6月13日土曜日

【Daily Open Windows】6月13日

六月十三日

わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。(黙示録三・十九)

私たちがいつも直面している大きな疑問があります。光の中に飛び込んで、歩み続ける人たちがいる一方で、そうしようとせず、しり込みするばかりで、前を見ようともしないように思える人たちもいるのはなぜでしょう?何か神の側で定めた資格があって、神も特別に者だけを選んで取り上げるのか、あるいは、神にも、好みの人間がいるということでしょうか?私は、そうは思いません。その答えの大部分は、いってみれば、神が、それぞれの人のどこに手を下さなければならない考えるか、その人たちに真剣に神と向かい合う気持ちがあるかどうか、主が遮るものなく入り込める道があるか、そして、その土地がすでに、神の妨げになるもので占められているかといったことにあると、私は思います。誰であろうと、神と真摯に向かい合う気持ちがあれば、主がその人に得て欲しいと願う光をすべて見落とすことなどあり得ないと、私は思います。聖霊は、私たちを知っています。聖霊は、私たちの心の奥底を見て、私たちが真剣かどうかを見抜いています。聖霊は、ご自身を妨げるものは何か、また、ご自分がどこまで進めるか、正確に計っています。主は、誰に対しても何かを強要しようとはしないからです。


私たちが自分の考えで精一杯で、自分のことしか頭になく、自分の生活のことばかりを考え、いつも自分を中心としていたら、そこに聖霊が働く機会はありません。自己が消え去るところに到達しなければなりません。これが、多くの人が抱えている問題です。彼らの心の中は、自分のことばかりが複雑に組み合わされており、いつでも、同じところを回り続けるばかりで、結局は、走り始めた地点に何度も戻ってきます。自分の周りを行ったり来たりするだけで、自分のことだけで疲れ切っています。遠からずして、彼らはどこかに思い切り衝突し、そこで、本来なら彼らが主のために守り、主のために表すはずのものが、全て巻き込まれて、彼らと共に倒れることになるのです。この時、聖霊が通る道はありません。自分のことで精一杯であるというこの状態を考えてみれば、このような生き方から外れない限り、真直ぐに進み、そのまま、生き続けることはできません。私たちがどこにいるのか、また、私たちが何ごとか縛り付けられて、主に対して心を開いて、さらなる光を求めることが全くできなくなっていないか、聖霊は明白に知っています。『私たちはこの苦しみを負っているし、私たちとつながっているすべての人々も同じ苦しみを抱えていて、私たちはその一部なのです!』私が言いたいことはお分かりだと思います。このような状態にある皆さんに対して、聖霊は多くのことはできませんし、聖霊には全てが分かっています。聖霊がとる姿勢とはこのようなものです、『何をしても役に立たないし、私にできることはほとんどない、彼らはあまりにがんじがらめになっている。』しかし、すべてを水に流す覚悟があれば、主は前に進み、道を開けてくださいます。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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