2020年6月21日日曜日

【Daily Open Windows】6月21日

六月二十一日

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。(ヨハネ十五・五)

奮闘し、苦悩し、また、力を尽くしてきた者たち、そして、主が持つべき全てのもの、可能なすべてのものを手に入れようと突き進んできた者たちの中で、私がいちばん、小さな者だったわけではありません。あなたは、すっかり疲れ切って、霊的な探求の中で自分を殺してしまうかもしれませんが、最後には、主が私たちの心に向かってこう語りかけます、『あなたがただ、主であるわたしを知っているなら、多くのことが起こるであろう。何が起こるときも、あなたには、どのような苦しみ、戦いや苦悩もない。わたしは、この実を結ぼうとしている。わたしは、あなたを通し、調和と交わりという道によって、この実を結ぶ。覚えておきなさい、交わりの祝福された聖なる奥義は、ただ、主であるわたしの中に休むこと、わたしの中にとどまることにあることを。』もしも、ぶどうの木の全ての枝が毎日、うめき、苦悶の声をあげ、そして、実を結ぼうと苦しんでいたら、その木は全体が不自然であると感じるはずです。現実には、そのような木はどこにもありません。すべての枝が木にとどまって、実を結んでいるのを見るでしょう。これは、よく、信仰にある休息と呼ばれるものです。信仰にある休息の背後にあるものは何でしょう?心の内側が落ち込んでいるとき、『しばらく休むことにしよう』などと言って、自分を受身の状態に置くことは、信仰にある休息とは違います。この休息とは、主を知ること、キリストのうちにある神を知ることです。なぜなら、神が御自身を私たちと結びつけた道とは、キリストの中にあって、キリストから離れたところにはなく、私たちが神へと結び合わされてきた道もまた、キリストにあって、その外にはないからです。あらゆる必要に対する答えは、このようにして、主を知ることです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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