2020年6月9日火曜日

【Daily Open Windows】6月9日

六月九日

信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。(ヘブル十一・一)

暗い体験を通して私たちを導いているとき、神は自分がしていることを、教えてはくれません。そうしてくれたら、どんなにいいでしょう。もし、神が、『今から、あなたに辛い経験をさせることにする。これからの時は、暗く、不可思議で、戸惑うばかりで、意味がわからず、惨めなものになるだろうが、心配はいらない。わたしは非常に大きな働きをしており、それをこの苦しみの中から生み出そうとしているからだ』などと言ったら、信仰という要素は消え去ってしまったでしょう。主が、ご自身が何かをしていることを語り、また、自分がしていることを説明してくれて、私たちを暗闇に置き去りにした上で、自分は遠く離れ、私たちのことなど気にもかけないような様子を見せなかったら!ただ、それだけで!ああ、しかし、主はそのようにはしなかったし、私たちも、主はそうされないこと、主は何も説明してくれないことを知っています。しかし、ここが苦しいところではあります。これこそヘブル書十一章が言おうとしていることであり、信仰を持つ皆さん、これこそこの御言葉が伝えていることです。私たちには残されたもの、偉大なる遺産があり、当時の人々より、ずっと多くを与えられていることを、神に感謝します。彼らには聖書がなかったのです。彼らが、苦しみを通らされたのは、聖書が書かれる前でした。私たちは、彼らの物語だけでなく、他にも多くのことを知っています。彼らに何が起こったのか、分かっているし、その後の出来事も読むことができますが、それが、本当に助けとなっているでしょうか?あなたが、苦しく暗い時を迎えていて、全てがおかしくなってしまったと感じるときは、ヨセフの物語を読み直してみてください。・・・読み始めたら、やめられなくなるでしょう。そこにある大いなる教訓を学んでください。ヨセフの神は私たちの神であり、神は今も同じことをされているし、私たちも、それを生活の中の現実として知っています。私がこれまで語ってきたことは、すべて、ありのままの現実なのです。私たちには、そう信じる証拠があります。それは、あらゆる面から見て、私の経験と非常によく似ているので、同じものが自分の人生にも備えられているはずだと考え、また、信じることができます。よみがえりの神は、これを誉れにしようと働いておられます。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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