2020年6月22日月曜日

【Daily Open Windows】6月22日

六月二十二日

あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためです。(ヨハネ十五・十六)

新しい創造はキリストの中にあります。あなたの中や、私の中にはなく、これからも決してそうはなりません。これからの時、また、永遠にわたっても、この創造がもたらすものは、全てキリストとの霊的な結びつきを通して入ってきます。神の完全さの全てが、キリストの中にあります。私たちは、同じ完全さを受け取り、また、現実の働きの中にその完全さを享受することになります。しかし、このことは、私たちがまだ、地上にいるしばらくのあいだは、常に信仰の結びつきによって行われます。永遠においては、神の完全さを受け取ることを妨げるものは何もなく、そこでは、働きの実は消えなくても、信仰の働き自体はもう終わっています。かと言って、そこでは、私たちがキリストの中に吸収される、すなわち、私たちがたくさんのキリストたちになるということではありません。栄光を受けるべきは、ただ主ご自身であることは明白です。私たちは、自分自身に栄光を帰すことはないし、自分がキリストであるかのように、人から賞賛されてもいけません。キリストとは、何か濃縮されていた要素が大きく広がって、たくさんの人の群れを作り上げ、その群れがまた別のキリストの素となるようなものではないのです。主の栄光とすばらしさが聖徒たちの中に表れたとしても、キリストは他の全てから切り離されてご自身という人格の中にのみ存在し続けることは、これからも変わりなく、また、このことから、私たちはなおも、自分とは明白に違う主と言う人格を、礼拝し続けることになります。これは、おそらく、語る必要すらないことでしょう。しかし、神がすべてのものを永遠に御子と結び合わされたこと、そして、これから後、キリストを離れては、なにも受けられず、なにも享受できないこと、今のこの人生においては、全ては主イエス様にへの信仰のみによって得られることを、私たちが心にとめておくことは非常に大切です。今ここで強調したいのは、主が可能にされて、自分自身からの解放が起こるように求めることです。自分のことで心が占められ、自分のことばかり考えていることは、いつでも、主から栄光を取り去ってしまうからです。御子の姿を表し、明らかに示してくださることによって、神が常に願い望んでいることの総決算として、私たちを本当に自分自身から切り離してくださるように、主にお願いしましょう。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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