2020年6月19日金曜日

【Daily Open Windows】6月19日

六月十九日

今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください。』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。(ヨハネ十二・二十七)

ただひとつの目的が存在しており、その目的とは全てを包含し、全てを抱え込み、全てを支配するもので、神は、創造によって、贖いによって、そして、一致によって、その目的にご自身を捧げてきました。その目的とは、人を御子の似姿へと変えて行くことです。これは、人が生きる最大の目標であり、至上の善でもあります。誰よりも完全な忍耐、愛、信仰、その他の『御霊の実』を備えている人物よりも、――苦しみと悲しみのただなかにあってさえ――満足していて、『幸福な』人はいるでしょうか?私たちは、何かのことで要求がかなえられても、それまでと同じ人間のままで、元からの性格や性質が変わることがなければ、しばらくすれば、他の何かのことで、前と同じ不幸な状態に陥ってしまいます。私たちは、周りにあるものを使い果たして、自分をその上においてしまう特質が生まれながらに備わっているのかもしれません。誰から見ても喜びに輝いている人たちが実は、弱さ、貧困、あるいは、他のかたちの逆境の中、耐え難い苦しみを味わってきていたり、一方では、もっとも、『大きな特権を持った』人たちが、誰よりも強い不満を抱えていることもよくあります。


苦しみという問題への解決は、理知的であることの中にはありません――『私はこうなるように定められている、これを受け入れるしかないのだろう』と、運命論的に受容することではないのです。受動的であれ、能動的なかたちであれ、自分の欲求を抑え込むことは解決とはなりません。解決は、自己憐憫、苦々しさ、皮肉、妬み、その他、自分で生み出した荒れ野をさまよう曲がった者たちが持つ心の動きからは、遠く離れたところにあります。私たちは、自分が味わっている困難のある部分を受け入れて、そして、次の事実を先ずは認め、それから、心の中に受け止めることが必要なのかもしれません。その事実とは、その苦悩の中にこそ、神の御子の似姿を作り出す大きく無限の力が潜んでいるということ、そして、この御子こそが、永遠なる御国を表すただ一人の人物、ただひとつの性質となるということです。私たちは、『天国』がどんなところか、あまりに楽しい場所として具体的に想像し、その情景を頭の中に作り上げてしまって、完全に理解するまで教え込まれるべき、真実の姿に十分な重みを置いていないのです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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