2020年6月18日木曜日

【Daily Open Windows】6月18日

六月十八日

この民はひとり離れて住み、おのれを諸国の民の一つと認めない。(民数記二十三・九)

自分を諸国の民の一つとは認めていない。ああ、これは実に栄えあることです!このことが、イスラエルを諸国と切り離すだけではなく、イスラエルを諸国の上に置くのです。さて、サタンが、神の民に対し、あらゆる年代に渡って、試みてきたことがひとつあるとすれば、それは、彼らが諸国の民のひとつに過ぎないと思い込ませようとしたことです。私は厳かに、また、注意しながら、お話しします。キリスト教世界の本当の中心にあって、私たちが今日も抱いているのは、世に認められたいという欲望です。認められるということ!組織化されたキリスト教が行うことはすべて、世に認めてもらうために行われています。この多くの教会は、いったい何ものなのでしょう?ここで言っているのは、あれだけ多くの手の込んだ建築物、目を引く建物のことです。それは、人に認めてもらうために建てられたものです。どれも、なんと立派なものかと感心させるために作られています。そこで取られる様々な手段、宣伝、その他、もろもろのものは、何を目的としているのでしょう?その目的とは、世で認められること、地上で信任を受けること、人からよく思われることにあります。そう、これこそサタンの勝利なのです。霊的な力が消え去ってしまったのはこのためです。こうして、教会は、人から認められるものではなくなっていったのです。教会は、霊において、この地上に落ち、諸国の民の一つとみなされるようになりました。神の民をただ、この世で取り上げられ、この世に書きとめられ、この世で認められる地位に立たせることさえできれば、サタンは大勝利をあげ、教会を天から引きずり下ろして、世俗的なものに変えられるのです。これが、旧約聖書全体を通して現れる原理です。これは、黙示録の中でも、大きな問題とみなされています。神は、そのようなものを手に取りはしません。これは、サタンが成功を遂げる道筋です。サタンは、教会を天から引きずり出しました。どこかで、サタンは教会を地に落とし、どうにかして、地との結びつきを作り出しました。


ここで語ってきたことは、実に多くの面で、そう、ありとあらゆるものの中で、私たちと関わってきます。すなわち、本質的な意味で諸国の民の一つとなっているのか、天的な地位から降りてしまったのかというこの問いかけのことです。主は、地上にあるご自身の教会が、この世で大いに持ち上げられること、世にあるもののあいだで認められること、世から賞賛と信認を受けることを望んだことは一度もありません。主が望まれたこと、そして、まだすべてが正しかった時代に現実となったこととは、世そのものが教会の存在を容認できず、教会を欲しなかったのです。これが、世に対して証しする主の教会の力です。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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