2020年6月12日金曜日

【Daily Open Windows】6月12日

六月十二日

まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。(ヨハネ一・五十一)

ここまでのお話の中で、キリストを、ヤコブのはしごが、真に霊的に実現されたものとして見てきました。それは、この地上に立てられて、その頂上は天に届くはしごでした。このことで、主は後に、ナタニエルに言っています、『天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう』と。さて、主イエス様が、現実に、ヤコブのはしごと同じであれば、主は、天と地の両方におられることになります。主は地上におられ、同時に、天にもおられるのです。主の中で、天と地は結ばれて、結ばれてひとつになっており、ご自身を表され、働きをされるという目的を持って地上におられながら、主は、天にもおられることになります。大切な点は、主のいのちと、すべての主の備えは、上から出てきたものであることです。主には、無尽蔵の備え、決して途絶えることのない備えが手の届くところにありました。それは、その備えが、この地上のものではなく、地上のあらゆるものの特徴である堕落にさらされる可能性が全くなかったからです。・・・・


ですから、ひとことでまとめるなら、それが意味するのは、私たちの生活と奉仕、私たちの働き、私たちの天からの召命のための備えが、キリストとの結びつきの中に置かれていて、私たちが思うがままに用いることができる備えは天から来るもので、尽きることなく、そして、朽ちることもないということです。これが、強さの大きな奥義です。ここまで、この備えとは何であるか、そして、その備えがどのように働くかということ、その備えの精神とたましいと身体にとっての価値、思いと心と意思にとっての価値に考えてきました。私たちが主から召命を受けているのは、私たちが自分で決めたことではありませんが、召命されるお方は、ご自身の備えを召命した者たちの後ろにそろえてくださり、その委任状もそこに添えられます。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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